私見。児童養護施設の自己保身、あってもいいし、バレてもいい
こんにちは。ゆきちかさん、という名前でnoteを書いています。
児童養護施設の心理職として働いています。(ツイッター@yukichika_3)
本noteの目的は、“児童養護施設”の検索結果をよりグラデーション豊かにする、というものです。
自己保身の行動って、すごく自然だよね
さて、前回の記事を読み返しまして、自己保身行動は良くない、みたいな話で終わったなあ、と思いました。
「児童養護施設」である以上、子どもが中心にいて、子どもの利益のために運営されるべきだ、というとにかく強くて真っ当な意見が聞こえてくるようです。
この意見、筋が通っているように見えます(というかむしろ、しっかり通っています)が、全くゆるやかさがありません。否定的に見られる可能性がある結果を許してもらえずに、100%良い結果かできるだけ当たり障りない結果以外は求められていない感じ。何度となく繰り返されている言葉なのに、全く良い効果を生んでいるようには見えない。私としては好まない表現です。
純粋に子どものためを思う動機で物事をスタートしても、子どもの利益を達成するための土台、施設の枠組みそのものを維持することが優先される、という状況は日常的に起こり得ます。
職員個人についても同じです。子どもとの関係のみならず、施設内の雇用関係、先輩・後輩関係、関係機関との関わり、プライベートな人間関係など、単純ではない人間関係の中で絶え間なく関係調整を続けていますし、毎日万全の体調で臨めるわけでもありません。訓練によって減らせはしますが、どれだけ小さくしようとも、気分の波はあります。それが人間です。バランスが崩れれば、バランスを取り戻すために保身の行動に出るのは自然です。
むしろ、子どものためではないことがバレてからがスタート
人間は完璧じゃない。完璧を目指すことは、典型を学ぶ道筋としては有益であっても、ゴールにはなりえない。そう思います。
とすると、何を目指したらいいのでしょう。
私の今の考えは、「きちんと自己保身に走り、子どもにバレて非難され、自身を見つめなおして、非を認めて謝れる大人になろう」です。
途中、非難を交わすために、更に自己保身のごまかし行動に走り、それもバレて逃げ場を失う所まで行く、そんな一幕を挟めば尚良いと思います。
この先に待ち受ける“最悪のパターン”はいろいろあると思うのですが、上のようなやり取りで、たくさんいる大人の一例を学ぶことができるので、関係性の破綻を持ってしてもまだ子どもの利益を描くことができます。あと、最悪な関係からより良い仲間関係を築けたなら、最悪どころか最高の展開です。
10年も施設に関わると、これ以上ない最悪な状態でのお別れを経験した職員と子どもが、数年後に笑って食事をし合うような未来を迎えた…というような展開がいくつか見られます。何だか、人間ってすごいのね、としんみりと感動が湧き上がる感じです。
完全よりも不完全の方が有用
今日の着地点です。
上に書いたような、やっちまった感のある出来事が後に活きるかもしれない現場です。不完全こそシステムの中枢に組み込みたいと思っています。歴史上では、価値基準ほど移ろいゆくものなので、私がもう少し歩みを進めたら、形にしてやるぞ!と鼻息を出します。…鼻息は出ました。
今日もありがとうございました。
ゆきちかさん
自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!