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評価の軸を取っ払う自由

 どうもこんにちは。ゆきちかさんという名前でnoteを書いています。
あとは児童養護施設で心理職、家庭で父&夫をして日々暮らしています。
本noteの主旨は“児童養護施設”の検索結果をよりグラデーション豊かにする、です。施設心理士ゆきちかの思うところを書き記しています。

マイナスをまずはゼロに、そしてプラスに…?

 あっという間にゴールデンウィークが過ぎ去り、新しい担当関係を1ヶ月過ごした職員と子どもとそれぞれ相談をして過ごしています。「今の暮らし、どうよ?」「1ヶ月一緒に過ごしてみて、今どんな気持ち?」というやりとりをしています。

 何ができるようになったら良いか、どこを目指したら良いか、といった話をするのですが、私(心理職)の視点からも意見を言わせてもらうことがあります。今日は自分で言っておきながら、自分で引っかかってしまう部分を発見しました。

 それが「マイナスの部分をプラス方向に進める」という文脈。

 これまで何の疑問も持たずその文脈で話をしてきたのですが、最近は「そもそも“マイナス”って、マイナスなの?」という価値観に変わってきていまして、さも当たり前のようにプラスを目指すことの是非を考え始めてしまったのです。そもそもこのプラスマイナスの軸を用意したの誰だよ、という感じ。

 できないこと(マイナス)を、よりできる方向(プラス)に変化させるお仕事。できなかったことが、できるようになるわけですから、単純に見れば「良いこと」です。ところが、子ども本人が望むことかどうか、必要と思うことかどうか、という観点では大人と子どもの意見が一致することはあまり多くはなく、むしろズレることが普通です。
 プラスマイナスの軸がそもそもどれだけ信頼を置ける基準なのか、大人と子どもが相談し合うことも稀です。「常識や慣例を実行できる」「今いる大人の再生産」みたいなことをプラスに位置付け、それを固定化している場合、往々にしてマイナス現象をプラスに動かすことは難しいです。

評価基準の軸を自由に取り替えられる想像力

 どのような関係性においても、ズレが生じうる。平行線のやり取りで関係性の終着駅に到達する前に、何のレールの上に立っているのか話し合えたら。合意や折り合いをつけるポイントが見つけられないにしても、互いの考え方の違いを整理できたなら。

 あとはまあ、それを存分にさせてもらえる組織の地盤、組織を支える文化の地盤があったなら、と夢想してしまうのですが、その文化づくりの一歩は他人ではなく自分から踏み出せやい、と内なる声がしてきます…。

 厳し優しい自分様。とりあえず聞くに値するよね?と自分会議が進みます。

 とりあえず、自分が再生産品に留まらないための努力をしてみたいと思っています。時間経過とともに古い考え方は失われ、私を含めた前世代がついていけない考え方が常識に取って代わっていくことだけは確実。とりあえず前世代の人から見たら「ありえない」「理解できない」選択肢を意識的に拾っていくことで、「マイナスがマイナスだけに留まらない道」「無理にプラスに向かわなくていい道」の開発したいと思います。

ゆきちかさん

自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!