「ないもの」のエネルギー
我が家にて。バナナ大好きの1歳児のお話。
赤ん坊も、お口の中いっぱいのバナナより、バナナのなくなった皿を見て怒る。
なかなかに新鮮な驚きだった。
最後の一口を、大きく頬張って、モチャモチャ口を動かしながら、「まだ腹減っとるんじゃもん!」と言わんばかりに唸り声を上げる。
「ちょっと、もっと食べたいのはわかるけど、も少しだけお口の中の幸せを堪能してはいかがでしょうか…?」と父から伝えても、空腹の味のするバナナはするりと胃袋に流れていってしまった。
仕方なしにバナナをもう少しだけ切ってきて、そうっとバナナの乗ったスプーンを赤ちゃんに近づけていく。
様子を見てみると、パクリと口に入れる寸前に一番の笑顔を見せ(なんて可愛いのだろう)、口に入ると、もはや次の一口のために父の手の中のバナナをロックオンしている。
手に入る、不快感が解消されることが確約され、今まさに手に入らん…という時こそ幸せはピークを迎えるのかしら…。
このようなお年頃から「ある」より「ない」、「快」より「不快」に焦点づけられるものなのかしら…。
と、お昼寝に付き添いながら思った。
「ないもの」「不快」が生み出すエネルギー。
そこから反発して成長や発展をもたらす力になっていれば、もっと苦しくて、終わりのない戦いの原動力にもなる。発展した技術を使ってこの発信ができているし、終わりのない戦いに疲れ果てた人たちの手助けという仕事にもなっている。
「私はこの負のエネルギーに依存して生きているのかしら?」
ふと、そう思ったけれど、「最近はそれほど依存っぽくないぞ」とすぐ訂正が入った。少し前までは、罪悪感を覚えて自家中毒みたいになっていたんだけど、うまく浄化できている気がする。
きっと明日もうまくいく。失敗しても、浄化できる。
そう思える夜はハッピーですね。
ゆきちかさん
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