soarを褒めそやそう!の回 #soar応援
こんばんは、ゆきちかさんです。児童養護施設で心理職として働きながら、児童養護施設の検索結果をよりグラデーション豊かにする!というテーマで日々考えを綴っています。
今回は、どうやら3周年を迎えるらしいウェブメディア「soar」が応援文を募集しているとのことを受けて書きます。
ついでの自分のテーマを紹介(ちゃんとsoarの話につなげますので汗)
「児童養護施設」は、一般家庭の危機的状況にこそ名前が登場する場所なので、どうしても否定的な感情イメージとの結びつきが強く、かつそれが一般の人が持つイメージとして固定化しているように思います。(言葉から、ほんわかした気持ちよりも、何らかの問題意識を刺激される感覚を受けてませんか?その感じです。)
この固定化に伴い、そこに暮らす子どもや、そこに子どもを預けている家族がそのイメージを自身の中に引き受ける現象が起こります。
施設に関わらず時を刻んでいく“一般家庭”という形が「普通」「幸せ」である…とするための裏付けであるかのように「特別」「不幸せ」のイメージを自分の中に引き受ける状態です。
その子どもや家族本人の名前よりも「施設の子ども」「子どもを施設に預けた親」という説明書きが主語に置かれた語りは、客観的な立場の人のみならず、当事者による自己語りにおいても否定的な力を働かせてしまいます。
さて、それらを目の当たりにして思い悩んだ私。
この子に自己否定させるように施設イメージが作られてるの気に食わん!
…それでも、否定的なイメージをバネに飛躍する、っていうケースもたっくさんあるし、何ならこの子はそうできると信じたい。イメージを変えることを考えるとしても、家族の危機は純粋に「危機」なわけだし、否定的なイメージをまるっきり反対のものへ覆そう、というのも違う気がする…。
であれば、当事者がどのような自己物語を綴ってもいいように、バリエーションがあればいいんじゃない!?たくさんの物語に触れることができて、自分がどの文脈を歩みたいかを好きに選べるくらい「児童養護施設」の検索結果がグラデーション豊かだったらいいんだ!
…という考えで日々ネットの海に児童養護施設の単語を投げ込んでいるという次第です。
soarは既にやっていた!
はい、soarさんの素晴らしいところ(その1)は、上に記したことを既にやっている、という点です。何らかの属性を人にもたらす言葉が、その人の人生に与えた負の影響はそのままに語りながらも、当事者の人が何を経てどこへ向かいたいと思っているのか、という物語がきちんと編まれている…!
児童養護施設や里親、社会的養育関連の記事もいくつかあります。
…いっぱいありました!
このように並べてみると、家族のあり方をグラデーション豊かにしようとするsoarの方向性を感じ取れます。
soarは文章が長いことで有名ですが、一人一人の人生を語る上で費やしたエネルギー量が文量に現れることは丁寧さの現れのひとつだし、デザイン性の高いwebページで物語を包むこと(素晴らしいところのその2)や、良い顔をした写真で記事の主人公の持っている力(経験を乗り越えてきたからこその力、と言えばいいかな)を表すこと(その3)によって、物語の中のより“しんどい部分”から主人公と読者を守ってくれているように思います。
あとは自分の領域とは異なる分野について知ることができること(その4)、フェイスブックのグループで勉強会の動画を見せてもらえること(その5)、寄付会員であることに誇らしさを感じさせてくれること(その6)…など褒めそやしポイントがたくさんあります。多分、寄付額以上に恩恵を受けている一人です。
あとは遠くてなかなか行けないけどイベントに参加できたら最高だな!という感じ?
いやはや、特定の対象を褒めそやすって非常に気持ちがいいですね!これからも素敵な活動が続いていくことを期待しています。あとはsoarを励みに私も頑張ります。
ゆきちかさん
自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!