見出し画像

仕事とわたしの「心の置き所」

初めて会う人でも何度かいっしょに作業すれば、彼らなりの仕事の哲学が透けて見えてくるもの。

わたしは仕事において、相手の大事に思っていることを大事にしたい、尊重したい派なので、仕事の進め方に対する自分自身のこだわりやプライドはさほどない。他者に合わせようと思えば合わせられる。

哲学のかけらもない。

学ぶことが好きなので、新しい知識や技術、新しい発想を得られれば、他者に合わせることはそれほど苦痛ではないし、それでいいと思ってきた。

だけどここにきて、新しく得た知識と技術から選べる選択肢が増えすぎて、一々迷うようになった。

新たな知識を身につけるだけではもう自分の好奇心を満たせないし、迷いのほうがどんどん大きくなってくる。

もし、プロフェッショナルの高度な能力に「奥義」と呼ぶべきものがあるとすれば、それは、「技の使い方」ではなく、その技の奥にあるべき「心の置き所」に他ならない。–––––––– 田坂広志『深く考える力』

多くの選択肢に迷うのは、他者に合わせてきたから。目指す先が描けてないから。自分の中で軸となるような選ぶ基準ができてないのだ。

何でも選べるは何も選べないと一緒。
他者に全てを委ねてたツケがここでまわってきたなと思った。

「心の置き所」に目を向けることは、自身の心の中の不安や恐怖、驕りや傲慢に目を向けることであり、それは、自身の心の中の「小さなエゴ」の姿を直視する、痛苦なプロセスだからである。–––––––– 田坂広志『深く考える力』

それなりに知識や技術があっても、それを出し惜しみしたり、使うことをためらったり。そんなことをする自分の中の認めたくないものが「心の置き所」には詰まってる。

わたしはいったい何やってるんだろう。わたしの心はどこを向いて見てるのか。本当にこれでいいのか。ちゃんと向き合えるのはもう少し先になるかもしれない。

その痛苦なプロセスを超え、心の中に、「小さなエゴ」を見つめる「もう一人の自分」が生まれてきたとき、そのとき、我々は、「奥義」の一端を掴み始める。–––––––– 田坂広志『深く考える力』

#読書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?