まばたきの呪縛

高校生の頃、同学年に好きな女の子がいた。

好きといってもいわゆる「恋愛感情」ではなかった。

クラスも違い、結局卒業までまともに会話をすることもなく終わった。彼女はきっと、私の名前はおろか存在すら覚えていないと思う。

とはいえ私も、1年生のときから彼女を認識していたわけではない。彼女はおとなしく、決して目立つ外見ではなかったし、派手なグループに属しているわけでもなかった。

私が彼女に強烈な想いを抱いたきっかけは2年生のとき、修学旅行での夜のことだった。翌日のスケジュールについてのお知らせか何かで、全クラスの人が宿泊所のロビーに集合しており、私も友人と喋りながらその時間を待っていた。
そしてふと顔を上げたとき、真正面、少し遠くに、彼女の姿を見とめたのだ。

彼女は黒と白とマゼンタピンクのトリコロールが横向きに配色されたワンピースを着ていて(要するにオランダ国旗の色違いのような感じである)、かなりボリュームのある綺麗なボブヘアを小さく揺らしながら歩いていた。

その瞬間、彼女は確かに世界で一番美しかった。
紺野キリフキの『キリハラキリコ』という小説に「人はね、一生に一度、すごくきれいになる瞬間があるの」という台詞がある。まさにそれだった。
あまりの衝撃に私はひととき我を忘れ、その後も折に触れて彼女のことを思い出した。

旅行が終わり日常に戻っても、私は彼女のことが忘れられなかった。彼女と同じクラスに友人がいたので、たまに会いに行っては横顔を盗み見て、「ああ今日もいるな」と存在を確認していた。今にして思えば相当気持ち悪い行為である。

彼女がどんな人物なのかも知らず会話などしたこともなく、せいぜい友人に会うついでに挨拶をしたことが通算3回程度、といったところだ。

そんなふうに心のストーカーになってしばらく経った頃、またしても私の心を乱す出来事が起こった。

文化祭である。

私の通っていた学校では、一般公開の文化祭とその翌日の校内限定隠し芸大会というものが開催されていた。
隠し芸大会ではバンドや漫才、モノマネなどが披露されることが多かった。学生の素人芸とはいえ、人気のある先輩が楽器を片手に出演しようものなら、黄色い悲鳴が上がることもあった。
暑い時期に体育館で行われるので、入場時に観客一人一人が生徒会手作りのうちわを配られる。それで暑さを凌ぎつつ、全ての出演が終わると、会場から出るときにそのうちわを気に入った出場者の投票ボックスに投票券として入れるのである。今思えば、なかなか合理的で面白いシステムだ。

話が少し逸れたが、3年生のとき、最後の隠し芸大会になんと彼女が出場したのだ。
前述したように私は彼女とはほとんど関わりを持たなかったので、出場することは全く知らなかった。そして出場者は基本的にニックネームを決めてタイムテーブルに記載されるため、そのうちの一つが彼女だなんて思いもしていなかった。

次々と出場者たちの芸が披露され転換が終わると、舞台にはグランドピアノが設置されていた。タイムテーブルを確認し、ああ次はピアノか…いつも出てる人とは名前が違うし、初めての人かな?けどピアノって正直退屈なんだよな…などと失礼なことを考えていた矢先、袖からゆっくりと現れたのは彼女だった。
私はまたしても天啓を受けた巡礼者のような顔になってしまっていた。実際に巡礼者を見たことはないが。

いわゆるオタクグループの子たちと仲良くしていて、あまり目立たず、引っ込み思案でおとなしい。勝手にそんなイメージを抱いていた彼女が、大きなグランドピアノを背に一人で舞台に立っている。
それだけで私の頭は妙に昂っていた。
ちなみに彼女の出場名は「まばたき」だった。私は後々、そのシンプルな単語にすら何故か神秘的な響きを感じてしまっていたものである。

彼女は静かに腰掛けると、これも私がますます彼女に"どっぷりハマって"しまった理由の一つでもあるのだが———東京事変の「メロウ」、椎名林檎の「日本に生まれて」「夢のあと」を歌い上げた。
(「日本に生まれて」は、元々は椎名林檎がともさかりえに提供した楽曲である。)

あまりにも力強く、体育館中に響き渡る綺麗な歌声は、私だけでなく大勢の"民衆"を惹きつけたようだった。
なんと美しく、神聖でありながら背徳的な瞬間だったろう。私は彼女の指先から、なにかカシス色のシャーベットのようなものを喉に流し込まれているような気分を味わっていた。

最後に彼女は司会から差し出されたマイクに向かって「椎名林檎さんの歌は、素直で好きです。」とだけ言って去っていった。その後のことはあまり覚えていない。

修学旅行の夜に私にかけられた魔法は、この日を境に呪縛へと変わった。

四六時中彼女のことを考えていたわけではない。私も学生らしく、迫りくる受験に苛立ったり同級生の男の子への片想いにうつつを抜かしたりしていた。

卒業式の日も、特に話しかけにいったり写真を撮ってもらいにいったりするようなことはなかった。
そして彼女の進路を知ることもなく、私は大学に通うため京都に向かうこととなったのである。


それなりに充実していると言えなくもない大学生活の中で、彼女を思い出す機会は段々減っていった。
しかしある日、同じく京都に住んでいた友人から近況報告がてら高校時代の人たちのSNSを見せてもらった。そして私はその中に彼女のアカウントを見つけてしまったのだ。
彼女はどうやら本気で音楽の道を志していたらしく、音楽大学と見られる場所での仲間たちとの写真や自撮り、日常風景などさまざまな情報が目に入ってきた。

私はたまらず、それ以上見せてくれるなと拒んだ。

なぜだろう。彼女の今を知っている人たちが妬ましかったから?昔のイメージを崩されたくなかったから?

どれも少し違う。私は、彼女が「今を生き、確実に時を進めているひとりの人間」であることを知りたくなかったのだ。

姿かたちが変わることを言っているのではない。むしろ彼女は高校時代よりもずっと垢抜けて美しい外見をしていた。けれど私にとってそんなことはどうでもよかった。
石膏の彫像が長い時間と雨風に蝕まれて劣化しても、私はそれを愛し続けられる。しかし、突然真っ白な顔に瞳が宿り、硬い手足に血が通い、生き生きと動き出してしまったらどうだろう。
きっと物語では喜ばしいことで、おそらくそれがハッピーエンドなのだ。だが私にはそれが耐えられなかった。

もちろん彼女は彫像などではない。はじめから柔らかな体と意識を持つ人間だ。だから私の悲しみや落胆などは筋違いもいいところなのだ。

分かっている。それでも私は彼女を、崇拝するための「女神」でも玉座の「女王」でもなく、城の中庭で無機質にたたずむ彫像のままにしておきたかった。

それからというもの、彼女の幻影に囚われる時間が再び少しずつ増えていった。
社会人になってからもそれは変わらず、度々彼女のSNSアカウントを確認したい衝動に駆られた。
もちろん実行することはなかった。それによって自分がより苦しむことになるのは明白だからだ。

そんなとき、またしても別の共通の友人から、彼女が現在はギターを演奏していることとその芸名を教えられてしまった。
私はもう耐えきれず、後日SNSを検索し、彼女のアカウントを見つけた。
そこには高校時代の姿とも、大学時代に見た姿とも違った彼女がいた。彼女はまた一段と美しくなっていて、もし私が初めて彼女に出会ったのがこのときだったとしても、やはり彼女を好きになっていたかもしれない。

けれど違うのだ。私は生命と戯れたいのではない。ひっそりと彫像を見つめていたいのだ。決してこちらを向くことはない彫像を、ただ一方的に、永遠に。

そしてその友人は、私が彼女のファンであったという程度のことは知っていたので、親切心から彼女のライブでCDを買って私に郵送してくれた。しかも盤面には私の名前宛てで彼女のサインが入っていた。

そのときの私の感情はうまく説明できない。

余計なことを、などと恨んだりはしなかった。けれど、そのCDをどう扱えば良いのか分からなかった。何度も棚から取り出して眺めてみても、プレイヤーで再生することはなかった。

あれからもう何年もの月日が経った。
呪縛が解けない私は未だ、彼女の曲を一度も聴けずにいる。

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