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最終話を描いて/幸福な箱庭で。
コルクラボマンガ専科の後半にさしかかるころから描き始めた、
宗教二世の生い立ちエッセイ漫画。
描いてみて感じるのは、
ひとつの括りにはどうしたって収まらない、ということ。
複雑にいろんな問題が絡み合っていて、
根本的な解決ができなかった当時。
でも母が、家を出ると決めたというだけで、
すべての問題が解決してしまった、不思議な体験でした。
それはまるで、生まれてくる前からの契約のようでした。
私は母を連れ出さなければいけなかった?
父という人間から。
宗教団体から。
母が目を醒まして家出を決めるまで、
私はどんなに努力しても、1人では家を出られなかったのでした。
母をおいていけなかったのでした。
私は両親が離婚するまでの30年間、
様々な啓示を受けとっていました。
中学生のころ出会った小説家のあとがきには、
カトリックの家庭で育った著者の、宗教への疑問と、
つけられた聖人の名を改名するまでが書かれていました。
今でも大事にとってある作品ですが、
そのあとがきが、未来の私自身だなんて、
予想できませんでした。
私は両親が離婚したあと本名を改名しています。
宗教団体でつけられた名前だったからです。
運命的な出来事は日々の生活のなかにあふれています。
説明のつかない幸運やトラブルは、たくさんあります。
私は2023年の4月にアガスティアの葉をあけました。
そこに書かれていた自分の前世のカルマを聞いて、
ああやっぱり前世ってあるんだ。
と実感しました。
前世の自分がいなければ、
今世で父とこういう形で出会うことはなかった。
ひとりの人間には、何十何百と前世がある。
現在の私を助けてくれているのは、
どこかに何百と散らばった、私自身。
母は父の理不尽な要求に対し、
いつも私を守ってくれました。
「あなたの仕事が安定してなくても、娘を大学には行かせます」
「金がないときは諦めるもんだ!」
「俺は学費を払ってもらえなかったんだ!」
「俺だったら親の金のことは考えて進路を決める!」
両親の、上記のやりとりを目の当たりにしたわけではなかったけれど、
なぜか「父のことは一切思いやる必要はない」と認識していて。
未来を知っているかのように。
そしていつも、根拠もないのに、突然すべてが解決する日がくる予感がしていました。
だって、説明がつかないのです。
当時の自分に、
「とにかく漫画を描いて本を読み映画を観、舞台を観て、ひたすら準備せよ」
というような語りかけがあって(あったと感じていて)、
漫画以外のなーんにもできないように、
虚弱モードに設定されてる気がしていたこと。
母が家出すると決めるころには、母は一文なしになっていて、
そのときは私の原稿料で生活できたこと。
私は私自身のことをとても愛しています。
だから、生まれてこれたことは、両親に感謝しているのです。
けれど、
父が仇敵のようであったこと、
結局は、
話し合いは一度もできない相手であったこと、
それらは今でも、心残りではあります。
でも仕方ない、人間である以上、時間は有限だから。
それよりも、
私の描いた作品で、
少しでも過去の私を救えますように。
母は元気です。
いま、とても。
新しいことにどんどんチャレンジしているし、
今でも愛されキャラは健在です。
父も仕事はうまくいってるようなので、
万事オーライ。
すべては実に、うまくいっていたのです。
ご支援いただけると幸いです。 よりよいものを創造していけるよう、取材や制作に使わせていただきます。