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バスに乗っていた日の覚え書き、走り書き。

夕暮れのバスが好きだ。

高速バスといえば、いつもイメージするのは東京行きだった。

大学を卒業する年齢になった今ではすっかり慣れてしまっているけど、
数年前までは、そこに不安とか焦りに似た
純粋で少しザラザラした感覚があった気がする。

それが、どこかサラサラで無感動なものになりつつあるのだ。

けれど、夕暮れの時間に、バスに揺られながら、
周りが畑ばかりの田舎の高速道路から
遠く光る街のネオンや街灯の光を見ていると、
なんとも言えないワクワク感というのか、ヒリヒリ感というのか、
アドレナリンとかカフェインとか
そういう、どっしりとした強さではないけど、
もう少し高音で鮮やかで、追いかけたくなるような感覚に包まれるのだ。

けれど、それは街に着くまでの間だけの感覚だったりもする。
いざ、街についてしまっては、案外、冷めてしまったり、
現実に引き戻されるような気がして、さっきまでの
胸の高鳴りがどこかに隠れてしまう。


-前の日の晩に雨が降っていた-
椅子の干し方が、なんだか可愛くて撮った1枚。

思い返せば、いつもそうだったかもしれない。

本格的に面白くなる頃には、
もう飽きてしまっていて、次のもの興味が移っている。
そうやって、気の向くままに見たいものを見てきた様に思う。

こういうのを、刹那的とか感覚で生きているタイプとか、
あるいはセッカチとか言うのだろうか。
果たしてそうなのかも、自分がそうであるのかもわからないけれど、
昔からこんな風に生きているのが僕には心地が良いのだ。


-なんでもない春の日の はちとごのお庭-

けど、大切にしたい緩さとかあたたかさ、
はなんとなくこんなイメージかもしれないと思った。


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