見出し画像

自分のことなのに三人称

こんにちは。雪よもぎです。

最近、また自分のことを三人称で考えているなと感じることがありました。

「私は楽しい。嬉しかった」

これが一人称の時。

「雪よもぎ(彼・彼女)はつらいと感じた」

これは三人称の時。


子どもの頃、私はどちらかというと三人称で自分を見ていました。メリットとしては、三人称で自分を見ていると何か嫌なことがあってもあんまり傷つかないで済むことが挙げられます。デメリットは楽しいことや嬉しいことを心から感じられなくなることです。

最初は無意識にそうなっていて、途中でなんとなく違和感を覚えて、今はほとんど一人称に変わりました。

自己防衛する必要性が減ったから、一人称で考えられるようになったのだと思います。ただ、今でも何かしんどいことがあると三人称に頭が切り替わる瞬間があります。

長年の癖みたいなものです。


自責他責という言葉がビジネスではよく使われます。「他人や環境のせいにせず、自分事として考えましょう」みたいな感じです。入社時の研修で習いました。

私は頭で思っていなくても研修の講師が望む回答をするのが得意だったため、「あなたはちゃんと自責で考えられていて良いですね」と言われました。内心では「そりゃ、表向きはね」と後ろめたさと共に思ったのを覚えています。


ここで最初の三人称の話に戻ります。

果たして、”私”は本当に「自責で考えられている」のでしょうか?

私は思いません。自分のことすら、どこか他人事になってしまっているだけなのではないかと疑ってしまいます。

だから、平気な顔で講師の望むことを言えるのだと。

良くも、悪くも、です。

他責すぎる思考も考えものですが、何でもかんでも自分ごととして考えすぎると「これは自分が悪い。そうだ、自分がいなくなればいいんだ!」というところに行きついてしまって、ヤバい方向へ走りそうなので。


要はバランスですよね。


この頃は、視点が何も意識せず三人称に切り替わった時は「あ、今無理をしているかもしれない」と一呼吸置くようにしています。三人称視点は自分にとっての安全装置みたいなもの。

だから、自分の気持ちを大事にして普段は一人称で考えるけれど、いざという時はちゃんと三人称に切り替わってね、と自分の脳にお願いしたい。今後ともどうかよろしくお願いします(そんな無茶な・・・by. 私の脳)。

ちなみに、「これは自分が悪い。そうだ、自分がいなくなればいいんだ!」と思った時、三人称視点で「雪よもぎは『これは自分が悪い。そうだ、自分がいなくなればいいんだ!』と考えた。」と言い換えると居心地の悪さで少し冷静になれますので、そんな余裕がある人にはオススメです。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?