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#4 思いやりってつまりなんなのよ

少し間が開きました。忙しいふりしているだけでnote書く余裕がないわけではないのですが、如何せんネタが思いつくようで思いつかないですね。3連休にゆっくり休めれば考える余裕も生まれるというものなのですが、少し働きすぎました。明日から連休なので少しゆっくりしたいと思います。

さて、そんな休みの前にリラックスしながらちょっと書いてみます。今日は「思いやり」の話を。徒然なるままに書くので上手く纏まるか不安ですが、ない頭で捻り出すので、生暖かく読んでください。笑

思いやりがあるとかないとか、持つとか持たないとか言いますが、その時に言う「思いやり」ってつまりなんなのかを考えました。
思考の癖なのかなんでも分析的に考えてしまうので、例によってこれも分解して考えてみました。
結論から言うと、「行動力」×「想像力」に纏まるんだと思います。

これもよく言われる話ですが、「思いやり」は「相手が耳が聞こえなくても目が見えなくても伝わる」もの。つまり、言葉だけでなくそれ以上の何かである事までは分かるわけです。そうなると、耳障りのいいことを言っても、何かポーズを取るだけでもダメで、素直に相手のことを考えて「行動」できることが不可欠。言うこと一つ、取る行動一つ、それが相手に届くものであることが前提というわけです。

それでいて、この行動力だけでは不十分なのが思いやりの難しいところ。これもみなさま聞いたことあるかもしれませんが、「被災地の千羽鶴」の話。
東日本大震災の時、東北の多くの避難所には日本各地から励ましの千羽鶴がたくさん送られてきたそう。これだけ聞くと被災者の方々への思いやりに溢れたエピソードに聞こえますが、実際はそんなに甘くない。国難とも呼べる甚大な被害に見舞われ、着るものや今日食べるものにも、寝るスペースにも困っている被災者のもとに、日本全国から大挙して押し寄せる千羽鶴。これは被災者側から見れば、暴力とも言えてしまう迷惑行為ですよね。
このエピソードから分かることは、一方的な「何かをしたい」思いと行動だけではそれは相手には届かないということ。ここで必要なのは、「想像力」つまり自分と相手と置かれた環境を考慮し、本当に相手に受け取ってもらえるものやことは何か?どんな届け方が最適なのか?まで想像できる力。(これがある人のことを世間一般では「気が利く」というのでしょうか)

この相手の手元まで現実的に届け切る「行動力」と今の相手にとって本当にありがたいと思ってもらえることと届け方を「想像できる力」の二つが合わさった時、受取手がそれを「思いやり」と呼び直すんだなーという結論に至りました。
無論、「行動力」という言葉の中には現実を成立させるためのフットワークの軽さや体力、時には資金力などの100個くらいの力が詰まっていて、「想像力」という言葉にも相手の立場や事情を理解する力や先を見通す力、ヒトというものへの洞察力などこれも100個くらい意味が詰まっているのだと思います。
こう考えると、自分が行動したことが相手に届いて、「思いやり」として伝わっていることって、結構奇跡的で尊い関係なんだろうなと思いますよね。

今日はこんな徒然なることを考えてみました。
あ、あと、相手に届くと信じて「勇気を出す」ことが最後のワンピースなのかもしれないね。

おやすみなさい。

UK

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