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写真と記録をつなぐ旅 ~上湧別町立上富美小学校の息吹~ Ⅴ
ソソドーソミーレド ソーラソ、……
ときにニンゲンというものは、不思議な音を口にすることがある。
それはオンガクというものであり、ウタというものであるという。
しかしここで音楽を流すという技量までには至っていないこの者は、いったい何をもってそれらを伝えようというのだろう。とりあえずは完結編である。うまくまとまればよいのだが。
あえて手書きを載せたのは
![](https://assets.st-note.com/img/1717561686330-OOaP97gybC.jpg?width=800)
上富美小学校 校歌
手書きではなく、それなりにきちんと印刷された楽譜もあるのだが、ここではあえてこちらを採用する。その理由は、
編曲された楽譜があるんだよ~ん ♪
ということを伝えたかった。それだけである。
昭和44年秋に制定され、昭和61年の春まで歌われたということになるが、
とても地域に愛された校歌だったようだ。
はなうたといえば上富美の子供たちは、実によく校歌をうたいます。
廊下を歩きながら、遊びながら、いつも口ずさんでいるのは、巨人の星でも怪獣の歌でもなく校歌なのです(中略)まだ学校へ入らない子までが、自分の知っている歌の数のなかに、必ず校歌が入っております。ほんとうに珍しいことだと思います。
また、記念誌に歌詞の一部を使い、思い出をつづった投稿も。
朝の風 さわやかに 流れも白き 富美川よ
富美川というのは、湧別川の上流で、富美・上富美地区ではそう呼ばれています。
![](https://assets.st-note.com/img/1717565163020-nD5eXkFwo1.jpg?width=800)
細かく調べていくと別の河川名が出てくることもあるので、ざっくりとこのへんの川、ということにしておきます。学校は小高い丘の上にあったので、河川氾濫時の危険はなさそうです。
心ひらきて なごやかに ともに求めん 真理(まこと)の道を
![](https://assets.st-note.com/img/1717565569348-3Npq5ph6in.jpg?width=800)
雲青く 山をゆき
日の色遠く 澄む郷(さと)に
![](https://assets.st-note.com/img/1717568198466-VQ0nUfy82t.jpg?width=800)
右は手ぬぐい山
手ぬぐい山の名前は、国土地理院の地図にも載っています。この地区のシンボル的な山(部落史より)その名前の由来は……長くなるのでここでは省略。
![](https://assets.st-note.com/img/1717568594983-QQUMKH2AGF.jpg?width=800)
部落の入り口付近
地図を見たら、とにかく広い上富美地区。
当時上空からの撮影はヘリコプターを使ったんだろうけど、気になるのは写真がこれ一枚しか見当たらないこと。写真一枚のためにわざわざヘリコプター借りた? 便乗した? ……謎だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1717569134168-N6QJh5lWji.jpg?width=800)
左側に上富美自治会の表記が
智恵(ちえ)のはたらく胸ひろげ 広くゆたかに こころざす
智恵があっても資料がなければわからんて
そう思っていたら
![](https://assets.st-note.com/img/1717569484278-jGYjWTEqL0.jpg?width=800)
上空からのものと一緒に保存されていた写真。
もしかして、これに乗せてもらったんだろうか ??????
ワカラナイ (*_*;
とにかく予算が (*_*)
校歌を制定したころの校長先生が、後日とある雑誌に当時の様子を投稿しています。
当時上富美小学校には校歌がなかった。PTAなどからの要望もあり、なんとかしたいと思っていたが、そのための予算がなく、名の通った作詞者に依頼するすべがなかった。その時、上富美に住む若い酪農家さんが俳句を愛し、作っていることを知り、校歌の作詞を頼んだ。一度は断られたものの、何度かのお願いののち、「(当時幼かった)わが子が入学して歌ってくれるなら」と、引き受けてくれた。
最初に作られた歌詞を当時女満別にいた先生(作曲者)に送ると、「こんなものは校歌ではない。校歌は教育の理想、希望、夢がなくてはならないのに(中略)自然の描写だけだ」と言われた。しかし作詞された方はたいへん喜び、奮起し、詞をつくりあげました。
作曲された先生は編曲を当時北見にいた先生に依頼され、その先生が
上富美小学校を訪れ、直接歌唱指導をしてくれました。
こいのぼりに託した想い
「只一度でいいあの校歌を(わが子)に歌わせたい。その一念で書いたつもりでしたが、それも無念のものとなりました」
作詞された方が記念誌に投稿された一文です。
不慮の事故で子をなくされ、そののち、離農。上富美から去る際に、わが子だと思って掲げてくれと、こいのぼりを学校に寄贈されたそうです。また、ポール(掲揚塔)も、中学生のお子さんを事故でなくした上富美の方が寄贈されたそうです。
校庭で翻るこいのぼりは、たぶんどこでも見られる光景かもしれません。
こどもたちがすこやかに育って欲しいという願い。
廃校後もしばらくは掲揚塔があり、節句の時期にはこいのぼりが翻ったというこの学校にも、何かしら託された想いがあったのかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1717574242760-0N6N2gaDew.jpg?width=800)
今度こそは?
いい感じで終わったではないか。と思っていたら最後に閃いたネタがあるらしい。どうもキレイな終わり方はできない、したくない? 性分ゆえの戯れである。
吾輩は少々眠くなってきたのでここから先は関知しない。
この先出番があるかどうかは、神の味噌汁 ← ((+_+))
この方は?
![](https://assets.st-note.com/img/1717576131499-vR0ScItxyD.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1717576150258-yji4vALAwl.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1717576171531-JeycOEuDI1.jpg?width=800)
どこのテレビ局だったんだろう……
謎を残しつつ、ここで完結です。
ここまで付き合っていたたいた方へ、
💛💛 感謝します 💛💛
💛💛 ありがとうございます 💛💛
やったー!
=^_^= 💛💛 できました~ 💛💛 =^_^=
2024年 6月
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