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自分の本心を言える人、言えない人を分けている?

アメリカでの RYT 200 取得の体験記を書いています。
今日は Week 2 での課題について書いていきます。
ジャーナリング課題はそのまま英語で載せています。

影の部分を学ぶ『shadow:影』の定義

week2 では、自分の影について振り返る課題がありました。
まずは影とは何?というところから。
『 』内は英語で書かれていたものの、翻訳です。
大切な概念なので、定義からご紹介しようと思いました。

『私たちは皆、性格の「影」の部分を持っています。
私たちの「影」は、とても昔に隠すことを学んだ自分自身の小さな断片すべてで構成されています。
これは、私たちが自分で決定したか、教えられたためです。

私たちは皆、人間として、愛し愛されたいと願っています。
これを妨げる何かがある場合、愛とつながりの「価値」を妨げないように「それを隠す」傾向があります。
私たちは自分の「影」を意識していないとき、日常生活の中で自分の「影」に反応しています。
これは、私たちの「影」が「潜在意識」の中にあり、それが私たちのすべての行動と行動を指揮しているからです。
それは自身の中に潜んでいて、私たちの動きを指示していますが、ほとんどの場合私たちはこの「影」に気づいていません。』

私のshadowについて

What parts of you - specifically from ages 4-14 - did you feel you must hide or downplay, in order to feel safe & to feel loved?
中学生の頃、課題に集中している私に話しかけてきた男の子がいたので、「うるさい」と言いました。
その子はクラスのみんなにそのことを話して、クラスの誰も私に話しかけなくなりました。
もちろん、彼を傷つけてしまったことは悪いことで、相手のことをよく考えてから話すことを学びました。
話し方や伝え方も、もちろん配慮しなければいけなかったと。
自分の気持ちをそのまま伝えるのはよくないし、自分の言葉が人を傷つけることは避けなければならないということも学びました。
このエピソードが私に与えてくれたもうひとつの糧は、無視されたときの人の気持ちがわかるようになったことです。

私のshadow 『本心を言うか言わないか』 が人生に影響していることを考える

元々の私は自分の意見や気持ちは言いたい人で、仕事の場でははっきりと言っていたこともありした。
言わなければ改善しないという妙な正義感があったからかもしれません。
過去の教訓があったのに、つい抑えきれず…言い方ももっと考えるべきだったなとから、言い過ぎたなとかと反省することもしばしばありました。
言いにくいこともはっきりと言える面を気に入ってくれた上司もいて、マネジメント職への打診もいただきました。

友人関係では逆の場合が多く、自分の気持ちをそのまま伝えることに抵抗があったため、自分ではそう思っていないことでも同意したりすることもありました。
偽りの自分で相手に接していると、苦しくなる気持ちもありました。
若かったころは特にそうで、今でも少なくはなりましたが、本心を隠すことがあります。
それがちょうど良い関係を維持できることもあれば、結局はお互いの本心が分からないクリアでない関係もあるということに気づきました。

本心を言うことの大事さ

私は、自分の本当のことを話す関係と、言わなかったり違う意見を隠したりして、穏便に済ませる関係のどちらかを選んでいるのだと気づきました。
会話や関係性の深さというか、本心をさらけ出す必要のない場面も多々あるでしょう。
軽い立ち話でいきなり本心をぶちまけるようなことはしませんよね。
子どもの友達のお母さん、いわゆるママ友とは最初はさぐりさぐり、そんなコミュニティなんかでの会話は難しいですね。

表面的な会話ばかりを続けていたら知りえなかったことも、たくさんあることに気づきました。
自分が苦手だと思っていることを打ち明けると、相手も同じ感じを抱いていて、一緒に解決方法を話し合ったこともありました。
思い切って本心を言ってみたら打ち解けたという感覚は、誰しも持っている経験ではないでしょうか?

相手を信頼できるまで本音を言わない、相手が信頼できるかどうかを判断することに多くの時間と労力を費やしている。
思い切って本心を話してみたら、もっとたくさんの人の本心もきけただろうし、打ち解け合える人との出会いも逃していたのかな…と気づきました。

自己防衛だった…

相手を傷つけないように考えて話すのはもちろんなのですが、多くの場合は自分が嫌われないようにという思いから、本心を隠してるのでは?と思いました。
そうなんです、結局のところ自分が嫌われないように、自分が傷つかないようにそうしていたのです。
こんなことを言ったら嫌な人と思われるかもしれない…嫌な人と思われたくない…だから言わない…という構造。
そしてこれは私の想像なので、もしかしたら別の反応を相手がするかもしれないし、良い人と思われたいという自己顕示欲求が根底にあると気付きました。

ヨガ哲学サティヤが教えてくれていました

ヨガ哲学、ヤマニヤマの中にも、「サティヤ: 正直であること」とあります。
サティヤを学んでからは、自分の「本心は言わないようにする」シャドーに対して、本心を言ってもいいんだよと、むしろ正直でありなさいと認めてもらえたことが、解毒された感じがあってすっきりしました。
本心と違うことを言いそうになったら、言わないという選択肢があることもヨガ哲学から学びました。

以上、私のシャドーについて考えたことでした。
Reading Required Book にあった『The Four Agreements』という本にも、言葉や正直さについて書かれていましたので、別記事でご紹介していきます。


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