子供の学習習慣をコーチとして再考する
みなさん、こんにちは。マタニティリープ 主宰の渡辺有貴です。次男(6歳)の小学校受験に向けて、1ヶ月をきって取り組む毎日です。長所や志望理由を親が書く願書はともかく、鉛筆を持って、線や○を回答欄に記入するというのは、5、6歳の子供にとっては日常あまりない経験なので、それに慣れていくということに取り組んでいます。
長男(9歳)もそうなのですが、次男もデジタルデバイスを使っている日々なので、うちで鉛筆を持って、何かに取り組むということが本当に少ないのを実感しています。そんなこともあり、改めて子供の学習習慣について考えてみたいと思います。
デジタルデバイスで勉強するいいところ
以前の記事でも書きましたが、デジタルデバイスで学んでいくのはとても楽ですし、効率的です。間違えた問題がやり直しできますし、継続して取り組んでいくことで、どんどん進めていくことができます。小学4年生の長男はベネッセのチャレンジパッドと算数に特化した先取り学習もできるRISUを使って勉強をしています。毎日チャレンジパッドの国算理社の問題から2問とチャレンジイングリッシュという英語の教材2問、そしてRISUの問題3つに取り組むということを日課にし、その日課と宿題と時間割が終わったら、マインクラフトが30分できるという約束をしていて、日課は15分ぐらいで済ませて、マインクラフトに移行しています。丸つけもデジタルにすぐにできますし、間違えたところをさくっと取り組み直せるというのがいいところです。
デジタル教材によって失われているもの
次男の小学校受験という機会で、改めてデジタル教材では補えないものはなんだろうかという問いを持っています。座って、何かに集中する。これはデジタル教材でもできています。握って書く、消す、考える。これもデジタルペンでやっています。では、デジタルでは経験できないことはなんでしょうか。きれいに丁寧に字や線などの形を書くという習慣は培われていない気がします。そして相手に見てもらうという意識で書く機会も少ないです。また、1つのことにじっくり取り組む機会が少ないように感じます。子供の性格にもよるので、一概には言えないのですが、アナログに鉛筆を持って、字や形を丁寧に、そして時に相手に向けて書くという学習機会がもっとあった方がいいなあと感じます。
たくさんの質感を経験してもらいたい
コーチングをしていると、体験ということがどれだけ大事なことか実感します。それは、カエルのたくさんの種類を図鑑や動画で知る=知識よりも、カエルを捕まえたり、触ったり、餌をとったりする=経験の方が断然豊かであるということです。経験が子供の生きる力を育みます。その中でも多様な経験がたくさんできるといいです。例えば、カエルについて本やネットで調べる。実際にカエルを捕まえにいく、飼ってみる、繁殖させてみる。友達と一緒に、田んぼで作業をしながら捕まえたり、解剖したり、自由研究をする。そんなふうにたくさんの質感のカエルを体験してもらいたいと思います。
様々なアプローチでたくさんの質感を経験していくと、自分の好きなことや嫌いなことがよくわかります。コーチングではその人らしさは価値観という言葉で表されます。そしてその人の価値観は響きとしてその人のエネルギーとなって現れてきます。たくさんの経験と質感を共にしていると、その子のエネルギーの源(価値観)がよくわかります。
自分の好きなことがわからない時代
何をすべきか、外からの期待はあったとしても、本当に自分が好きなこと(自分らしさ)が何かはわからないという人が多いように感じます。自分もそうだったと思います。勉強は何をするべきか、何をやらないといけないのか、そういうことをしているうちに、本当に好きだったことや好きなことを忘れてしまうというのは、よくあることではないかと思うのです。だからこそ、子供が本当にやりたいことをやらせてあげて、エネルギーが動いて、その子らしさが現れ、実感できることを経験させてあげたいと思います。それが生きる力のベースになるのではないでしょうか。
子供にあった多様な学び
学習についても、その子が喜ぶアプローチがあります。学ぶコンテンツ(算数や国語や細かな単元)✖️デバイスやツール(iPadや鉛筆やボードゲームなど)✖️アプローチ(一人で、友達と、競争形式)といった組み合わせを変えることで、その子にあった多様な学び方ができます。長男の学習を見ていると「競争」「効率」「ゲーム」「直感」「手応え」といったところが価値観として見えてきます。次男は「面白さ」「一緒に」「驚き」「体を動かす」「カッコよさ」という価値観が見え隠れしています。5Gの時代、コロナによる学習のツールや機会の激変は子供たちの価値観との掛け算でどんな学びを生み出してしていくのでしょうか。昭和生まれの私は学習と言うと、つい鉛筆、ノート、ドリル、筆記試験といったイメージを持ってしまいます。子供の響きや価値観に沿って、生きる力につながる学びの伴走をする上で、私もこれまでの学習の枠を超えたトライしてみたいと思っています。
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