バブル崩壊と日本経済の今後

現在の日本では物価が高騰している一方で給料は30年間上がらないスタグフレーションが起きている。何が契機でこのような事態が起きているのか考えたときに、筆者はバブル崩壊が原因で給料が上がらない「失われた30年」状態に陥っていると考えている。本レポートではバブル景気が発生することになった流れやバブル崩壊当時の対策、崩壊後の経済動向を踏まえ、これから歩むべき日本経済を論じていきたい。
 
(ⅰ)バブル崩壊までの流れ
日本は1980年代前半、円安の影響を受けて輸出産業が伸びた結果、大幅な貿易黒字国へとなっていくようになった。その一方で、アメリカは自国で作った製品の売上が低迷してしまい景気の悪化がより深刻になった。こうして輸出超過になった日本と輸出低迷したアメリカで格差が生まれてしまった。1985年にこうしたアメリカの貿易赤字状況を改善するために(アメリカ景気悪化を改善するため)ニューヨークにアメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、日本(G5)を招きプラザ合意が行われた。プラザ合意では各国がドル高是正に対し合意をした結果、アメリカは景気悪化を乗り越えることに成功した。アメリカのドル高不況改善を受けて1ドル=235円だった為替レートがプラザ合意後1日で20円下落した。さらにその1年後には1ドル150円台にまで下がり円高が進行した。その結果、日本の輸出産業は大きな打撃を受けることとなり、円高不況に陥ってしまった。日銀この状況を打破するために、公定歩合率を引き下げたり公共事業投資を拡大したりするなど大幅な金融政策を打ち出し円高不況脱出を図った。公定歩合を引き下げたことにより、当時の日本では企業や個人が融資を受けやすくなった。そして、その融資を受けた企業が設備投資を行い、新たに工場設立に踏み出した。工場を作りたい企業が増加していくと同時に、それに伴い土地に対する需要も増大していった。よって、土地の値段である地価も急激に上がっていくこととなりバブル景気が発生した。バブル発生によって、当時の日本は設備の増加や新事業の展開をしなくても、土地への投資のみで利益が得られるようになっていき、土地を担保に融資を受けることができていた。この流れは企業だけではなく個人にまで広がっていき、元々銀行を利用していた大企業は海外や個人から直接資金を調達するようになった。銀行は中小企業や不動産業、個人の利用先になる貸出先の変化も見られた。また、借金でさらに新しい土地を購入する「財テク」と呼ばれる手法は非常に流行を博した。
いわゆる「土地神話」に疑問の目を向けずに土地への投資を行った企業や個人は増加し続け、結果的には地価は暴騰することとなった。プラザ合意が行われた1985年当時の東京都の平均地価は、1平米約30万円であった。しかし、3年後の1988年には約89万円と3倍近く高騰した。加えて、銀行からの融資が通りやすかったことも背景となって株式投資に手を出す人が急増し、みるみるうちに株式市場が活発化した結果、株価も高騰してしまった。 
バブル景気による地価・株価の異常高騰の抑制手段として、1990年、政府・日本銀行は2つの金融政策を行った。1つ目は「金融引き締め」である。主に公定歩合を2.5%から6%まで引き上げることで企業・個人が融資を受けづらくしたのだ。2つ目に「金融機関の投機的土地取引」が挙げられる。投機的土地取引には「不動産融資総量規制」「土地税制改革大綱」があり、前者は行政が金融機関に対して、土地を購入する目的で融資の相談を受けた場合に融資額を減らすように行政指導したことを指す。後者は1991年に施行された「地価税法」で所有している土地に応じて金融課税をするというもので、この法律によって土地・株は一気に売却され、地価や株価は大暴落し土地神話は崩壊した。(個人的意見として、需要の無くなった土地に対して供給が溢れてしまっていた当時の日本は、どこかプラザ合意前のアメリカと重なるようない印象を受ける。)ただ、景気後退に対して政府は「通常の不況」という判断をしており景気対策に遅れが出たものといえよう。土地の供給過多とも言える状況から、土地で融資を受けていた企業の多くが倒産。企業や個人は融資返済に滞り、そのお金を回収できずに不良債権を多く抱えることになった銀行は経営悪化に陥った。
 
(ⅱ)バブル崩壊後の経済動向
バブル崩壊後の日本は、ボーナスの減少や相次いだリストラに苦しめられた。これは銀行の経営悪化が背景となったもので、優良企業でも融資を受けられることはなかった。更に住宅ローンを支払えずにマイホームを失う人も少なくなかった。バブル崩壊によって悪化した経済状況の対策として日本銀行は1998年に「ゼロ金利政策」を実施した。これは金利を史上最低の0.15%にして経済の流れを良くしようという試みだったが、当初想定していたほどの景気回復は見られなかった。その3年後の2001年、日本銀行は国債を買い取って資金の流通量を増やす「量的緩和」を行った。ただ、当時のアメリカのITバブル崩壊の影響もあり、2000年から2003年にかけて日本も不景気に苦しめられた。日銀総裁は、量的緩和は景気回復に効果があったと述べたものの、実質GDP・賃金に反映されなかったことから「実感なき景気回復」と呼ばれている。さらに日本は2008年に起きたリーマンショック、2011年に起きた東日本大震災という2度にわたって経済打撃を受けたものの、2013年に行われた金融緩和政策により段々と景気は回復に向かっていったように思われる。
 
(ⅲ)歩むべきこれからの日本経済
 日本はバブル崩壊から地続きで起こった景気不況を経た現在までの30年間を「失われた30年」と呼ぶことが多い。バブル経済の後遺症として公共投資を増加させたり財政赤字が拡大していったりするなど、2023年現在もその傾向が見られる。ただ、筆者は公共投資が景気回復の糸口になるとは思えない。公共投資事業が通用したのは、田中角栄が日本列島改造論を打ち出し、道路・インフラ整備の重要性が高まった戦後だからではないのか。現在、道路やインフラの枠組みはほとんど完成しているが、公共投資を訴える政治家を未だに多く見る。現代日本において、景気回復の手段として公共投資を用いることは時代遅れで適切ではない。公共事業ではなく教育や科学技術、子育てに予算を増やすことが今の日本に必要な事ではないか。教育や子育てにお金を注ぐ事は将来的な投資である。すぐに芽が出なくても10年後に見返りが来る、いわば「投資的予算」だ。バブル崩壊やリーマンショック、コロナウイルスなど周辺国の影響を受けて起きる不況に打ち勝つには国内で優秀な人材を育てるほかなく、公共投資で人材は育たない。コロナウイルスのワクチンも使われたのは全て日本以外の国で作られたワクチンである。もしワクチンを日本の技術者が作れていたら(日本産のワクチンを税金で変えていたら)経済の流れは良くなっていたのではないだろうか。社会保障制度や医療費不足など今の日本は財源に苦しんでいるように見えるが、教育や子育てに予算を出せば「子供を産みたい」と考える人も増え、将来の納税主体が増え、税収も上がっていき、給料も上がると思われる。
真の景気転換期があるとすれば教育に予算を投入することが当たり前になった時と言えよう。
 
 
 
<参考文献>
内閣府『バブル/デフレ期の日本経済と経済政策研究-オーラル・ヒストリーに見る時代認識-』(2011) https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/archive/e_rnote/e_rnote020/e_rnote019.pdf
 

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