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だからこそ出来ること

「障害者手帳を持っている人は、残念ながら昇級しづらい。」
「あの人は、病んじゃったんだよね。」
これを聞かされるのは何度目だろう。
(だからなんだ)というのだろう。

ちなみに私には昇級欲はない。
多分あるのは承認欲求だけなのだと思う。

産み育てることが可能な性であるし、近い将来そうした休みを取るとしたら、昇級が遅くなることくらい目に見えている。
傍目にも分かるだろうし、自分でも布石を打っていて異論は出ていない。

最近、よく聞かされるこの冒頭の話題について、少なからず言えることは、私の前で出すべき話題ではないということだ。
障害者手帳を持っているか否かは本人が口外しない限り秘匿される。申請した市町村においてのみ管理されるからだ。
だから、自分から申告しない限り障害者手帳を持っていて症状がどんなものなのか言わない限り、仕事の質や量は配慮されない。結果として、助けを求められないまま「出来ない人」レッテルを貼られる。

これが果たして、仕事の在り方として良いのであろうか。

駆け出しの私は、失うモノが少ない。役職だってないし、責任だって微々たるモノだ。
だから、一個人として、冒頭の表現に心の中だけでなく、異議を唱えていきたい。

この多様性を認めようとする世界で、医術が進歩した世界で、その考え方を持って仕事をするのは古臭くないでしょうか、と。

「心の疾患は目に見えないから難しい」。ならば、もうすこし寄り添って添え木をつけて歩こうよ。
自分が疾患を経験して、疾患と共に生きる中で感じたことや経験したことを無駄にしたくない。

だから、だからね。
周りをよく見て適所で足掻くよ。