見出し画像

過ごした時間

「咳をしても金魚。」
戸棚の整理をしていると、別れた夫が書き留めたメモを見つけた。なんだそれは、と思わず二度見してしまった。これは新しいカタチの謎解きか何かなのだろうか。

元夫と結婚したのは、5年前。
別れたのは2年半前。
お互い半分経ったし、もういいか、くらいの冷静さを持って離婚届を提出した。
子供を望まなかった私たちの間には、繋ぎ止める事由が然程なかったように思う。

私たちは、バツイチという称号を手にした。けれど、元々別居生活をしていたが為に、生活は一人暮らしの時に戻っただけであった。分けるべき財産というほどのものも、特になかった。

強いて言うならば、祭りの夜店で掬った金魚をどちらが飼うのか、ということを話し合ったくらいだ。金魚掬いで散々紙を破いた私たちのもとへやってきた金魚である。金魚にも個性があるようで、片方は鈍感で、もう片方は貪欲だった。狭い鉢のなかで、「貪欲」が「鈍感」を追いかけ回すので、狭い鉢の中に金網で「貪欲」を囲って飼育したこともある。

そんなわけで一匹ずつ引き取ることにしたのだけれど、金魚は冬を越えることはなかった。空になった金魚鉢には砂利砂の代わりにビー玉を入れている。窓辺から差し込む光とビー玉と張った水との調和が綺麗だ。

ふと、元夫のメモ書きに目を落とす。「咳をしても金魚」が、何を意味するのか分からないままだ。金魚はもういないし、このメモが2年半前以上前に書かれたものなのだとしたら。

金魚鉢を抱えてぐるりと見渡してみる。凹んだ鉢の底に失くしたはずのピンキーリングがぺったりとくっついていた。

「鈍感だな、お前は」という夫の声が聞こえてきそうだ。

別れてまでも存在を主張してくる「貪欲」さに呆れるわ、と呟く私の、スカートが濡れた。


今回も小牧幸助さんの企画に参加させていただきました!

#シロクマ文芸部