宗教に対する偏見。私は私が恥ずかしい。

特定の宗教を信仰しない人が多いと言われる日本。いったいどのくらい、特定の宗教を信仰している人がいるだろうか。


私自身は特定の宗教を信仰しておらず、「良いとこどりで信じる(?)」という形をとっている。
神社仏閣にはそこまで詳しくないが、御朱印は集めているし、厄年の時に厄除けにも行ったし、そのときにもらったお札を神棚のような棚に祀っている。


こうやって書いてみると、御朱印帳って何?って人からしたら信仰心はあるほうかもしれない。(今使っている財布も一粒万倍日に使い始めたしね。)


けど、「○○教を信仰しているんだ」という人にあまりで会ったことがない気がする。いや、実はけっこういるかもしれないけれど、どこか宗教は“触れちゃいけない話”のように扱われている。


そんなだからか、私の身近な宗教との関わりは、学生時代に「○さんは宗教の関係で校歌を歌わないんだって」というのを人づてに聞いたことがあるのと、宗教のチラシを持った人が実家のピンポンを鳴らしたことと、…そのくらいのことしかなかった。



つい最近友人に「○○教を信仰している」と言われ、びっくりした。それは、嫌悪とかではなく、ただ純粋に周りに宗教信仰をしている人がいなかったから。
そして、信仰している宗教の教えを少しだけ教えてもらった。私は「すごいね!(とてもまっとうな素敵な教えだねと言う意味で)」と言った。それに対して友達は「やばい宗教とかじゃないんだから笑」と言った。



私は宗教に偏見を持っていたんだ。宗教について全然知らず、周りに信仰している人もいないから具体的なイメージもないまま、世間の勝手なイメージで宗教=勧誘される、怪しいと思ってしまっていた。
実際、危険な思想の宗教が存在したり、教え自体は危険でなくてもむやみに勧誘する人がいる場合もあるとは思う。だからといって、宗教全てになんとなく負のイメージを持っているのはおかしいし、相手に失礼だしとても恥ずかしいことだと気づいた。



私が特定の宗教でなくても何か神秘的なものを信じるのと、友人がただ純粋に特定の宗教を信仰するのは、その気持ちにはなんも変わりはない。
そもそも、占いを好きな人がいて、大安の日に入籍をする人がいて、それは何も言われないのに宗教になると急に「触れてはいけない」みたいな空気になるのおかしいよね。ガチで信仰したらダメなんかいって笑 そんなことないよね。



そうやって知らないものを知ろうと努力しないまま勝手なイメージで悪い印象を持つことが、様々な差別につながるんだと思う。私も気を付けないと。
もっと簡単に「私○○教なんだー」と言い合える世の中になるといいな。
宗教に興味が湧いてきたから、また宗教に関する本を読もうと思った。おわり。

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