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ふるさとの10年

AJINOMOTO PARKの「おいしいはたのしい」に投稿したものです


我が家は食材の宝庫だと思う。

春先に裏山を歩けば、あちこちにタケノコが生えてるし、
夏が近づくとたくさんのフキで埋め尽くされる。
稲穂が垂れる秋には、うっそうと茂る木々の奥にアケビを見つけられた。
冬の終わりにはフキノトウが雪解けの土から顔を出す。

おじいちゃんとタケノコ採りをして、ひざ上まで泥だらけになった。
お母さんがフキにくっついていた毛虫にびっくりして大声を上げていたっけ。
稲刈りをするお父さんについてった先で、大きなアケビのツルをお姉ちゃんと一緒に引っ張った。
目が悪いおばあちゃんのお手伝いで、フキノトウ探索ゲームをしたこともある。


子供の頃、外に出るだけで四季を感じられる食材に出会えた。
出会えた、と言うより、当たり前にそこにあった。
私の日常だった。

我が家は食材の宝庫で、私は食べることより収穫することに夢中だった。


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実家を離れても、時々庭先で採れた食材を母が送ってくれた。
毎日代わり映えしない一人暮らしの食卓に、そうやって季節が香る瞬間があった。


「そういえばそろそろタケノコがいっぱい採れる時期じゃない?」

「放射能で汚染されたから食べれないよ」


春になると母が冷凍して送ってくれるタケノコのお煮つけが好きだった。
大好きなおじいちゃんといっぱい収穫した思い出のタケノコだ。
それが食べられなくなってしまった。
基準値を超えていたと、母が残念そうに言っていた。

割れた食器は処分して、お風呂場の壁のひびも補修して、崩れた石垣も元通りにしたけど、タケノコは有害なものになってしまった。


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あの日からもうすぐ10年。

我が家の土は除染作業がやっと終わって、少しずつ、四季折々の食材を昔みたいに収穫出来るようになってきた。

あの日に失ったもの、取り戻せたもの、あの日と変わらないもの、変わったもの。
たくさんある。

最近は、私の姪っ子が父について行って田んぼで遊んだりしているらしい。
ずぼらな私も、誰かのために朝ご飯や晩ご飯を作るようになった。


母にLINEでレシピを教わりながら、ふと思い浮かべる。

真っ白な冬が終わったら、フキノトウ探索ゲームの最盛期になる。
スマホの画面越しに手を振ってくれる舌足らずな姪っ子に、フキノトウの穴場を教えてあげたい。
暖かくなってきたら、母に土つきのタケノコを送ってもらって、自分で母の味を再現してみたい。
私に寄り添って、一緒におじいちゃんとおばあちゃんの遺影に手を合わせてくれたこの人に、実家の食材を使った料理を食べさせてあげたい。
「おいしいね」と笑いあいたい。


あの日からもうすぐ10年。
厚く積もった雪の下、フキノトウが芽吹く頃。

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