卵巣腫瘍ができたよ!

タイトルの通りである。

久しぶりにnoteを開いている現在は12月15日の終わり、2021年はちょうど95%コンプリートされている最中だそうである。

今年は転職以外にも出会いや別れ、その他ここには書けないような様々な出来事があった。その中でも、2021年下半期振り返って間違いなくビッグイベントだったのは入院である。

異変は9月末にさかのぼる。

ある程度の都市に住んでいる人は見かけたことがあるかもしれないが、私は「シズラー」というファミレスが大好きだ。
シズラーはハワイ式バイキングを提供しているお店で、ファミレスにしては少し値段が張るがケーキやプディング、でかい肉、絶品チーズトーストなど、つまり自分が好むような高カロリーでさらに普通のお店ではお目にかかることが少ないアメリカンなご飯を腹いっぱいまで食べられる、夢のような場所である。

しょっちゅう来ることはないが、たまに訪れるシズラーでのひと時は、天井が高くハワイアンな内装も相まって私にとって癒しだった。

そんなわけもシズラーで満腹になり「さあ帰ろう、その前にお手洗い…」とトイレの個室で腰を下ろした直後、下腹部に痛みが。肛門からピンポン玉で突き上げるような痛みが一定のリズムでガンガン襲ってくる。今まで経験したことがない種類の痛みだった。激痛に耐える事15分、痛みが治まらないのでうずくまるようにして店を出た。

腹、というか肛門付近の痛みに絶え絶えになりながら必死の思いで家に着き、しばらく横になっていたら大体痛みの発症から1時間ほどでようやく痛みは引いていった。

一緒にいた友達は病院に行った方がいいのでは、と勧めたが土日だったという事もありもう一回痛くなったら行こう、と思い。いったん保留に。

その間に痛みもしばらくない日々が続き、あれだけの激痛を私はケロッと忘れ、変わらない毎日を送っていた。

1回目の痛みから約1か月後、2回目がやってきた。

友達と水族館にいた時だった。徐々にお腹が痛くなりはじめたが、ちょうど生理中だったのもありそのせいかと思っていたが、痛みはまたしても耐えきれないほどの激痛に変わっていった。

命からがら自宅にたどり着き、ベッドに倒れこむ。痛みのせいか急激に熱が上がっていくのも感じ、今度こそ救急車を呼ぼうと夜間診療を行っている近所の病院いくつかに電話をかけた。

しかし、たらいまわしにされ諦めたところ、痛みは徐々に引いていった。

これはおかしいと思い、今度こそと病院を訪れたのは次の日。病状に一時的だが熱があったという事で初めはコロナ外来に回されたり、特に原因が見つからない中で何度か病院を訪れ、最終的に下された判断は

「卵巣嚢腫」だった。

卵巣嚢腫、とは文字通り卵巣に腫瘍ができている状態で、自分の場合は右だったかな?の卵巣が7センチほどにはれ上がっているらしかった。7センチというとまあまあ大きいのでそんなことになっているのに今まで気が付かなかったことにはたまげた。

しかしそれもその通り、卵巣は肝臓と同じく沈黙の臓器らしく、余程事態が進行しない限り、体が異常を訴えることはないのだそうで。
だからこそ、卵巣がんの予後は婦人科系のがんの中でも飛びぬけて悪いらしい。怖い話だ。

自分の場合、痛みの原因は大きくなった卵巣が子宮とねじれ、つまり捻転したせいだと考えられると医者に言われた。痛みのお陰で病院を受診し、嚢腫の発見に至ったのだし、結果オーライだった。

そんなこんなで卵巣嚢腫と診断された自分だが、医者によると卵巣嚢腫のほとんどが良性で、見た目も良性っぽいとのこと。ただ、また捻転がいつ発生するかわからないので、取ったほうがいい勧められた。

入院は手術ができる平日の5日間。お金もかかるし、平日は仕事をしている自分にとって5日も休暇を取るのはそれなりに大変だったので、良性なら急ぐことはないか、と入院日を1か月以上先に定め、初めはのんきになものだった。

しかし、入院前の検査で異常が発覚した。

自分が受けた血液検査では2種類の腫瘍マーカーの値が測定できるのだが、どちらも異常に高かったのだ。

とくに片方の腫瘍マーカーでは基準値が35のところ6900をたたき出し(ちなみにがん患者は10000くらいが多いらしい)医者も

「これは、がんかもしれないねぇ」

と不穏な雰囲気を醸し出し始めた。自分も大変ショックを受けたが、検査の後電話した家族は自分以上に動揺していた。

死が身近になる感覚、私は最悪死ぬことも考え時々ひどく落ち込んだりしながらなんとなく憂鬱な毎日を送ることになった。

また、手術日を1週間前倒しできるという事で、ちょうど仕事が忙しかったものの、背に腹を変えられぬと入院日を変更した。

そして入院当日…

次回へ続く。




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