農業をひも解く5 ~手法~
特に農業に限ったことではないと思うが、何か問題がある場合、その解決の「手法」、あるいは「手段」、「ツール」というのは山のように存在する。しかし、「手法」がありながら当の問題が一向に解決しないということが非常に多い。
これは一体どういうことなのだろう?
ひとつ事例を挙げてみよう。農業分野の方ならアタマが痛い「鳥獣害対策」、つまり「ケモノ対策」についてだ。
そもそも鳥獣害というのは、人間の生息域と、ケモノ達の生息域が重なることで起きる。重ならなければ起きない。だから、奥山では僕はヨソモノとして慎ましやかにしているわけだ。
で、こちらのテリトリーにケモノ達が侵入して悪さをした場合は、当然、戦うことになる。この戦いのためにたくさんの「手法」が用意されている。
電気柵(触れるとバチン!ときて怖くなるやつ)
恒久柵(物理的に入れなくするやつ)
わな(檻とか、ワイヤーで足をくくるとか)
鉄砲(撃つ)
そして
追い払い(あっちへ行け!!と無茶苦茶脅す)
などですね。
しかし、基本的に被害は止まっていない。
講義とか受けた方は「そう!」と思っていただけると思うのだが、
「電気柵」を張るにしても、「追い払い」にしても、
一人じゃできない
んですよね。もっと言えば、
マンパワー
が不可欠。これなしには無理。絶対に。
そう。何が言いたいのかというと、
問題が解決しないのは、「手法」以外に理由があるってことで、
それはつまり、
手法は問題を解決しない
ってことなのだ。
今の事例なら、電気柵を張ったり、追い払いをするのを誰かが手伝って、マンパワーを補充してあげないといけない。そこがこの問題の
核心
なんである。
けど実際は、そこは深掘りされずに、手法だけが独り歩きしてしまう。そしてみんな思う。
「なんだかなあ・・・」
と。これはマズい現象だと思う。
僕は、農業をカチッとした産業にするには、この視点が大事だと考えている。あぜの草刈り(水田の畦畔管理)や、農業をやる人を増やす(担い手育成)なんかも同じだと思うよ。もう一押し、考えないといけない。
コロナで思った。ものを生み出す力を手放してはならないと。そこを誰かに完全依存するのは危険だと。
農業が自ら問題を解決するため、僕は考える。
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