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今日の参拝123 〜その場所に行く〜

10月21日
ぜひ今日のうちにこのnoteをあげておきたい。

ぽっかり空いた土曜日。僕は決めた。

自分を見つめる、その場所に行こう。


僕にとってその場所は一つしかない。

伊富岐神社


久しぶりの参拝だ。
静けさが緊張感を醸し出す。僕は気持ちを作って、境内に足を踏み入れる。

来おったか・・


すぐに厳しい眷属の声が聞こえた。

はい、来おったですよ。


僕は挨拶をする。

僕はここに、自分を見つめるためにやって来た。「場」として、ここしか考えられなかったからだ。

どこがいいだろう?僕は落ち着く場所を探す。参道の真ん中あたりがしっくり来た。

心を落ち着ける。瞑想に近い状態になる。
すると、一陣の風が、

フウーッ

と強く吹き抜けた。

気吹戸主・・


そう、ここにこの神がおられることをすっかり忘れていた。
というのも、僕はこの日、神に何かを問おうとは思っていなかったからである。
だがここで、はからず神に意識が向いた。

参道から脇に外れ、僕は、拝殿の空に意識を向ける。
目を閉じて、丹光を見るが如く、意識をスイッチした。

だが、瞼の裏には何も映らない。
どうやら何かが違うようだ。

そこではない・・


再び眷属の声。僕にも異論はなかった。

では、どこなのか?僕が意識を向ける場所とは・・

だがそれはすぐにわかった。
空ではない、


であったのだ。
御神木の裏あたり。

ふと目をやると、気付かなかったが、灯籠が立っている。

そこには、

伊富貴大明神御前


と書いてあった。

何かのエネルギーを感じる。
僕は膝を折って、地面を見つめる。
たくさんの「命」がそこにはあった。

僕は地面に手を置き、問う。

僕は何を手放すのだろう?


心を眺める。
人間関係、お金・・そういったものが去来する。だが、ちょっと違う。いくつか自問自答してたどり着いたのが、

自分のやることを、自分で考えることを手放す。

つまりは、

神に委ねる


ということだった。

歩む方向は既に決めてある。だが、これからの道程で導かれる事柄に従っていこう、ということである。

流れ、というものに乗っていくことになる。

最後に、禊よろしく手水で豪快に顔を洗い、僕は境内を後にした。

何の根拠もないのだが、僕には、今日が何かの

最後の日

であるような気がしている。だから今日の日の行動に出た。

実を言うと、

「土曜は雨だから、お休みにしましょう」というD氏の提言がなかったら、

「パーツが入ってきてないから今日は修理が出来ません」というお店の電話がなかったら、

そして何よりも

「ざわざわする」という前振りがなかったら、今日の参拝はなかった。

だが、結果として、雨はさほど降らず、パーツは午後には入荷して、修理が出来ていた。

僕はどうやら、行くべくして伊富岐神社に参拝したようだ。

明日何が起こるのか、僕にはわからない。
だが、何があっても、僕は取り乱しはしないだろう。

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