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曖昧な感情に名前をつける。

自分の中で整理されていない、あいまいになってしまっている感情に名前をつけると、自分の人生の羅針盤が出来る気がする。

この頃、家にいることが増えて、内省的になる時間がいつもより増えている。社会人になって数年、これから何をしていきたいだろうと考えることが多い。生活は成り立っているし、特段不幸なこともないけれど、幸せと感じることも減っている気がする。そんな中、このエッセイを始めようと思ったのは、自分の不透明な感情に表情をつけて、もっと細かく言葉で辿ることで、自分が何をこれからやっていきたいのか鮮明に見えてくるかもしれない、と考えたからだ。

学生の頃は、特段自分の感情を意識したこともなく、周りから言われることを言われた通りにやる、完璧にやれればすごい、くらいにしか思っていなかった。勉強や運動で評価されることで十分生きる意味を感じられていたし、自分の感情について、突き詰めて考えたことなどなかった。
喜怒哀楽の感情はもちろんあったけど、無意識だったせいか、好きなものも嫌いなものもおぼろげで、今考えると、学生の頃のわたしの世界は、とても曖昧なものだった。

自分の人生の道を決めることも、とても単純にして考えていた。たとえば大学で出た宿題に対して、答えを出す時のように、わたしは教科書のような指針を、会社や友人に求め、誰かが教えてくれる、誰かが評価してくれる道に行こう、と漠然と考えていた。

社会人になってから、自分の意見を求められることが多くなって、自分は何をしたいのか分からなくなった。人生の道はそんなに簡単には決まらないということを知った。なんとなく入った企業が肌に合わず、飛び出したところでわたしの道は完全になくなってしまった。

好きなものもやりたいこともあったはずなのに、自分で決めてきた、と思っていたのに、不意にわたしの目の前にあった道が途絶えて、どうしようもなくなった。不安に駆られていることにも気がつかず、そこで何を頼りに生きていけばいいのか、分からなくなった。暗闇でもがき続ける時間が2、3年続いたように思う。

そんな日々に少し光がさしたきっかけは、日記だった。日記を読むと、平坦だったわたしの日常にも、良い日もあれば悪い日もあって、意外と自分がどういう日常を過ごしているのか、わかっていないことに気づいた。また、気分が上がるきっかけも、成長のきっかけも、案外自分の行動を振り返ると、きがつくことがあるのだな、と感じた。
答えは自分の中にある、とはよく言ったもので、どう生きていくかも自由なのである。だからこそ何が自分の人生に良い、あるいは悪い影響を与えるのか知ることが、自分の判断基準を知ることにつながり、ひいては人生に対する自信に繋がるのだと。

自分の感情を丁寧に掘り起こすこと、そしてそれに名前をつけること。
日々時間に追われて生きる中で、つい蔑ろにしてしまいがちな自分の感情、それを大事にし、深めていくことが、巡り巡って自分の好きなこと、これからやりたいことにつながる。

わたしは、自分の感情の透明度を高めるために、エッセイで自分の気持ちをゆっくり見つめ直してみたいと思う。めんどくさがりで、今まで本当に自分と向き合ってこなかったのかもしれないが、人生をもっと楽しむために、自分自身のことを知っていきたいと思えることが大人になったなと思う。

このエッセイがわたしの人生の新たなる指針になることを願って。

#エッセイ #50音でめぐるわたしの感情  #


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