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理想を追い求めすぎた恋愛観

私はずるかったと思う。
自分が簡単に手に入れられそうな人を見つけて、理想の女性を演じ、相手に好きになってもらいそこから、自分の恋愛観に合う人間として振舞って欲しかったという、傲慢な性質を持っていた。

彼氏は途切れたことはなく、中学校3年生からはじまり、高校の時は2次元に恋していたけど、大学生から先から今まで、横に恋人や配偶者がいないことはなかった。

ただそれは、単に私が近くにいる仲の良い人の好きそうなポイントを押さえて呼び寄せたからそうなってきただけで、私が本当にその人が好きだったかは今思うと疑問である。

現に今、過去に付き合っていた人の何処がとびきり好きだったか説明できない。

漫画やゲームの影響

私の理想は「フルーツバスケット」に出てくる主人公の透とその相手の夾の恋愛で、苦難や心の闇の葛藤を乗り越え、身体的な問題も超え結ばれるふたりが老夫婦になっても手を繋いで仲良く生きていく終わり方に感銘を受けた。

また、どんな作品でも男性主人公とヒロインや女性主人公と相手役がペア感満載で仲良くしているのを見ると堪らなく羨ましくて、自分もそんな人と出逢いたいと思っていた。

だから付き合う人にもそれを求め、自分のことをいつも一番に考えて、なにがあっても帰るところは自分で……みたいな価値観を相手に求めすぎていたと思う。それに合わない発言があるとモヤモヤしていた。

今思うと、相手を全く見ていなかったと思う。

本当の人間関係のありかた

ここ数年、自分も大切にすることにより相手のことも尊重できるようになった自分がふと気づいたのが、自立していて人に自分の理想を叶えるように強要してこない人は、その人のありのままを受け容れているという事だった。

そのままの相手を見て、そのまま話をしている。本来ならこんな返事をしてくれてもいいのにとか、なぜ寄り添ってくれないのかとか、そういうことは言わずただそのまま聞いて「あなたはそうなんだね」と言ってくれる。

会話をして違いもあるし自分には無い発言をするけど、それがその人と認めることができている。これは私は驚いたし救われた。親にも過去の配偶者にも指導者などにも、こうあるべきを提示されてきたから。

今の私の恋愛観

今は私は相手をそのまま、受け容れるように思考を向けるようにしている。その上で自分のこだわりもきちんと説明し、相互理解をしながら相手が嫌じゃないように真ん中を探そう、もしくはどちらかが前向きに変わることを検討しようと伝えられる恋愛をしている。

それは、私が勇気を出して自分の素を開示して相手に合わせないようにしたり迎合しないようにしたから、相手も素直に想いを伝えられ、私も歪んだ恋愛観を捨てることが出来るようになったと思っている。

この話し合い、すり合わせ、正直な気持ちをシェアする、を続けた先に私が描いた老夫婦のようなパートナーシップがあってもいいし、なくてもいい、というふうに今は理想を捨てられそうなので、私もどんどん変わっていっている。

いつか色んなブロックから解放されますように。

❄︎☃︎¨̮
お読みいただき、ありがとうございました。

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