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休日の早朝に、フジファブリックを聴く。

わたしはいつも4時半過ぎにテレビのタイマーをセットして起床する。

実は低血圧のわたしが(上が76、なんてこともあった)7時の出勤に間に合うようにするには、そのくらいに起きないと間に合わないのだ。 

今日も、休みだからゆっくり寝るつもりだったのに、タイマーを外し忘れて、いつもの時間に起きてしまった。 

見るともなしにつけたNHKで、フジファブリックというバンドの音楽を取り上げていて、いつの間にか真剣に見てしまった。 

名前はどこかで聞いたことがあったけど、彼らの曲をきちんと聞いたことはなかったし、どんなバンドかも知らなかった。  

ボーカルの志村さんが亡くなっていたことも。

今だって何もわかってないけど。 

番組の冒頭で、山梨の富士吉田で、12月の志村さんの命日に、全国から集まったフジファブリックのファンが、17時のチャイムがなるのを待っていた。

それは、フジファブリックの「茜色の夕日」。

18歳で上京した志村さんが作った曲だ。

今も富士吉田では、この曲が夕方5時を知らせるチャイムになって流れている。

ファンの人たちは、チャイムの「茜色の夕日」を聞きながら、富士吉田の夕暮れを眺めていた。 

 

番組の中では、今でもフジファブリックの曲に支えられている人たちや、自分の夢を叶えるためにバンドを脱退した初期メンバーも登場した。 

弁護士になるためにバンドを脱退したオリジナルメンバー(キーボード)の小俣さんは、今でも弁護士として壁にぶつかるという。

でも、志村さんが15歳の頃からの夢だった「地元で凱旋ライブをやる」という夢を叶えた志村さんを、そのライブで初めて客席から見たときの「こいつ、すげえな」という思いや初期メンバーで録音した「茜色の夕日」を聞いて、志村さんがめちゃくちゃに頑張っていたことを思い出し、「自分はもっと頑張れる」「まだ頑張れる」と気持ちを奮い立たせているという。 

わたしも、番組を見終わってから、そのときのライブの「茜色の夕日」や「若者のすべて」、志村さんが亡くなってから奥田民生さんがカバーした「茜色の夕日」の動画を見てみた。 

ああ、いい曲だな。

きっと、時々思い出して、聞きたくなる曲だと思う。 

みんな、人生の中で、多かれ少なかれ、何かを抱えて生きてる。

わたしだってそうだ。

あなただってそうだろう。

それでも、人は生きていかなくてはいけないし、どうせ生きるなら、より良い人生を生きたいと思う。 

Rejoice.

生きていることを喜べ。

そして、自分のために、大事な人のために、一生懸命に生きていたいと思う。

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