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元々はお菓子?夏に美味しいそうめんの意外な歴史

毎年、夏が近づくと
そうめん研究家の
ソーメン二郎さんがメディアに登場します。 

先日も、ラジオ
(TBS「安住紳一郎の日曜天国」)で
楽しいお話を伺いました(^^)

ソーメン二郎さんのご実家は
「三輪そうめん」で有名な奈良の桜井で
家族代々三輪そうめんを作っている
「植田製麺所」。 

だからこそ、ソーメン二郎さんは
そうめん研究家として
そうめんの普及復興を目指し
活動されているのです。

そうめんは伸ばしても伸ばしてもきれないため、
「ご縁がつながるように」と
お中元など贈答品に使割れるのだそうです。

麺の中ではラーメンやうどん、そばに比べて
ちょっと影の薄いそうめんですが、
実はそうめんは最も古い麺と言われているとか。

1200年前、疫病、天然痘が流行し、
100万人とも言われる人がなくなっていた頃、
日本最古の神社、奈良三輪山の大神神社で、
飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、
「小麦を巻いて麺を作るように」
とのお告げがあったのだとか。

そのお告げの通りに麺を作ったのが
そうめんの始まりと言われています。

三輪そうめんは元々は宮中への献上品で
宮中の方々が召し上がるもので、
庶民が気軽に食べるものではありませんでした。

江戸時代に入り、醤油を使っためんつゆで
庶民もそうめんを食べるようになったのですが、
さらにそれを全国に広めたのは「お伊勢参り」。

江戸時代、人々がお伊勢参りに行く途中に
奈良県桜井市の三輪地区で宿をとったときに
三輪そうめんの美味しさに驚き、
三輪そうめんの噂が全国に伝わりました。

また、
「地元でもそうめんを作りたい」
という方たちがいたことから
作り方が各地に広まりました。

特に奈良から西の地域へと広まっていき、
そこから小豆島そうめんが生まれ
小豆島の方が島原に移住してそこで作ったのが
島原そうめんの始まり。

(北にも製麺方法が伝わり、
秋田の稲庭うどん・そうめんの
始まりとなったそうです)

また、喉越しの良いそうめんは
なんとなく「夏の食べ物」の印象がありますが、
夏に食べる理由は他にもありました。

そうめんは元々は中国の唐から伝わった
索餅(さくべい)という、
小麦と米粉で作ったお菓子でした。

唐の時代、遣唐使の船で
すごろく、お茶、将棋と共に日本に伝えられたのです。

索餅は中国の皇帝のお子様が大好きだったのですが、
お亡くなりになってしまい、
「王子が好きだった索餅をお供えしましょう」
と供えたのが7月7日だったのだそうです。

また、その時も唐で疫病が流行っていて
たくさんの方が亡くなっていたそうです。

そのため、無病息災・子孫繁栄を祈って
索餅をお供えする文化があり、それが日本に伝わったのです。

ですから、七月七日の七夕にそうめんをお供えして
無病息災を祈ることが習慣になり
そこからそうめんを夏に食べる習慣にも
繋がった、というわけです。

「そのような歴史上の出来事があって
そうめんが夏の風物詩になっているのだな」
と興味深く伺いました。

実は、ソーメン二郎さんのレシピ本、
わたしも持っているのですが、
ツナ缶やごま油を足したり
牛乳、豆乳、トマトジュース、緑茶でめんつゆを割ったり、
様々なアレンジレシピが載っていて、
とても楽しいです。

また、二郎さんのオススメは
そうめんを茹でる時にお鍋に梅干しを入れること。

クエン酸の効果ででんぷん質が外に逃げ出さずに
麺に閉じ込められるので
麺がギュッと締まって美味しく感じられるのです。

食欲が落ちる時期も、
そうめんを美味しくいただいて
乗り切りたいですね。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

*全国各地に美味しいそうめんがありますが、
「揖保乃糸」も美味しいですよね。
こちらのレシピ本も、
少しずつ挑戦しています(^^)

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