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私の自慢の圧力鍋

我が家には年季の入った圧力鍋がある。私はそれでカレーをつくるのが好きだ。具材を大きく切って圧をかける。圧が抜けたらカレー粉を入れてゆっくりゆっくり混ぜて煮詰める。煮詰めながら、こっそり幼い頃の自分に想いを馳せることもある。

実は、圧力鍋は祖父からもらったものだ。「これもう使わんのよ」と言うその圧力鍋。いつかもらってきてから、私の台所に欠かせない存在となった。

圧力鍋をくれた祖父と、突然別れが訪れた。
老後もたくさんの本を読み、文字を書き、周囲の人へ感謝を忘れなかった祖父。教師だった祖父の現役時代を私は知らないが、いい先生だったに違いない。祖父の葬儀が終わって数日経ってやっと、私はその別れを受け入れる準備ができてきた、気がする。
大好きだったおじいちゃんに「ありがとう」と伝えて、やっと送り出せそうだ。

祖父の教えは、言葉は、私の隅々に行き渡っていると改めて感じる。

祖父は私に「2番を目指しなさい」といつも言っていた。1番になることより2番で居続けることは難しい。2番はトップを目指す気持ちも、悔しい気持ちも両方わかるポジションだ。そして、2番で居続けることは一度1番になるよりずっと継続的な努力が必要なんじゃと、よく言っていた。

祖父は会うたびに家の柱の前に私を立たせて、身長を測った。柱につけられた、たくさんのキズ。小さな頃からの成長を見守ってくれた祖父の温かな眼差しが思い出される。身長が伸びているときだけでなく変わっていないときも、「元気だったらそれでいい。今日も会えて良かったわ」と繰り返し伝えてくれた。

祖父はとにかく、よく書く人だった。夏は甲子園の対戦を、冬は紅白歌合戦の歌手のことを、また日々ラジオを聞いて、いつもチラシの裏にきれいな字を書いていた。筆に墨を含ませて書いている指先を眺めるのが私は好きだった。

そして祖父は、祖母をとても大切にしていた。祖母が病を患って、祖父のことが誰かわかっていないような日々が続いたときも、日々いたわり、そばで背中をさすっていた。

私は祖父の前でよく泣いた。おじいちゃんとのabcゲームの対決に負けたから。弟と喧嘩したから。ぼっこんに怖くて飛び乗れなかったから。
悔しくて、悲しくて、よくワンワン泣いた。でも思い出の中のおじいちゃんはいつも穏やかで、泣き止むのをずっと待ってくれていた。諭すでも怒るでもなく。
泣く私も、しばらくしたらケロッとして笑う私も、しばらくぐずぐず切り替えられないときも、私自身が立ち直るのを根気強く待ってくれていた。大きな心の持ち主だったと改めて尊敬する。

※abcゲーム:麻雀ゲーム?どんじゃらのようなもの。
※ぼっこん:ターザンロープというのかな?ロープにぶら下がったタイヤに乗ってゴール地点のタイヤまで風に乗るアスレチック。ゴール地点でぶつかったときの音が”ぼっこん”と言うので、ずっとボッコンと呼んでいた。

祖父が亡くなって、まだ私はワンワン泣けない。ちょっと年をとって昔のように素直に泣けないのか、まだそのときが来ていないのか。
納骨の時も、泣く母を、戸惑う娘を、笑ってサポートしていた。
泣くのが難しかった。でもきっと祖父は「それもええんよ」と言ってくれている気がする。

じいちゃん、とにかく私は生きるよ。
そしてじいちゃんのように、周りを感謝し、受け入れ、待てる大人になるよ。

カレーを煮込みながら祖父の偉大さを感じる夕暮れ。
明日も圧力鍋で美味しいご飯を作ろう。

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