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底知れぬ悪意を描く社会派ホラー『黒い家』貴志祐介

『黒い家』が何を示すのか。この本は、どういったホラーなのか。考え、考え読んでいた。そして、背筋がすうっと冷たくなる恐怖感を味わった。これは、社会派ホラーとも言えるのか。ホラー小説という分野は手を出してこなかった。映画『リング』を見ただけで、もうあの貞子がテレビから出てくる瞬間の恐怖は忘れられない。文字にしてイメージしてしまったら植え付けられそうで。ただ、この本は、何も超常的な現象は起きない。だから、手にとった。人の悪意はこうも根深く、そして、真っ黒に描けるとは。
主人公の若槻は、昭和生命の京都支社で保険金の払い出しなどを担当している。ある日、自殺したら保険金はおりるのか、という問い合わせの電話がかかってきた。若槻は、電話口の女性が自殺を考えているのかと疑い、自身の兄も、自殺したと伝える。
ここから始まった物語は、本当に全く想像していなかった展開をしていく。若槻は、尻もしなかった保険金加入者の菰田重徳から呼び出しを受けて、居住地の嵐山を訪ねる。嵐山といっても、風光明媚な渡月橋付近ではない。古い家が並ぶ中に、目的地の菰田家はあった。これが『黒い家』だった。
恐怖は、肌感覚で感じるものだろう。若槻は家のたたずまいですでに恐怖する。家に入ったときの描写は何かの予感を駆り立てた。
“中はうす暗く、一歩敷居をまたいだとたんに異臭が若槻の鼻腔を襲った。まるで、何か得体のしれない動物の巣の中に入っていくような錯覚さえ覚える。”(位置1088)
若槻は、この家に入ることで、保険という相互扶助の考えを持った商品が、どす黒い悪意で食い潰されていく過程に巻き込まれていく。
保険という仕組みが、人を悪意のうずへとおとしめていくこともある。それに対して、悪いという感情すら持たない人間への恐怖。まさに得体の知れない怪物として描かれた犯人は、とても人とは思えない欠落した人間だった。ただ、若槻の恋人・恵は犯人を擁護しつづける。恵の存在が、さらに物語に奥行きを持たせて、ただの一人の異常性ではなく、社会の問題にもなり得るのだと印象づけている。
“子供っていうのは、自分が扱われたのと同じやり方で、世間に対処しようとするのよ、あの人は、きっと物心つく前から、ああいう扱いを受け続けてきたんだわ。だから、そういう生き方しかできなかった。”(位置4961)
そういった人間を徹底的に排除しようとすることによって、彼らはまさに低きに流れるように、無自覚に悪意に染まっていき、それが連鎖し、広まっていく。著者はただ、人格異常者による保険金目当ての凶行として描きたかったわけではなく、もっと複合的な、無自覚で冷酷な害毒が持つ奥深い闇を見せつけたかったのかもしれない。

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