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#18 青年海外協力隊_オリンピック予選

今回はいよいよ紹介する活動としては最後です。
目標である東京オリンピック出場のためのアフリカ予選です。
大会開催場所はチュニジアでした。


短期隊員帰国後

8月に短期隊員が帰国した後は、教えて頂いた練習メニューをひたすら反復。一方で最後まで1人のコーチと大論争をしてました。チーム始動時から14分間動き続ける体力が課題と感じていましたので、100m以下の短い距離のフィットネスには取り組んでいませんでした。そのため、1人のコーチから残り1か月ぐらいになったときに、瞬発力を重視した短い距離のフィットネスを提案され、連盟も言っているということで無理くり練習メニューに組み込まれました。個人的には終盤になって取り組んでも効果はなく、むしろ今まで積み重ねてきたモノがなくなると思い、拒否。連盟に直接説明しました。

メンバー選考

オリンピック予選のメンバー選考についてはある程度、考えは伝えたものの最終的にはコーチに任せました。というのも練習でしか選手の情報が得ることができなかったからです。結果的に、やはり現地コーチはよく選手の特性を知っており、オリンピック予選の試合で初めて選手の持ってる能力に驚く場面がありました。この試合の選手交代に関してもそうですが、選考含めは現地コーチの選手を見てきた経験に感服しました。

オリンピック予選

予選は2日間で1日目は予選、2日目はトーナメントです
過去の成績に基づいて予選プールが振り分けられ、上位2チームがカップ戦いわいる決勝トーナメントに進出できます。予選グループは3つに分けれられており、強いチームは以下のように分けられておりました。

Aグループ:ケニア、他3か国
Bグループ:南ア、他3か国
Cグループ:マダガスカル、チュニジア、他2か国

そして、私自身はさすがに試合中に細かい指示が出せるほど語学レベルは高くなかったのでキーワードとして「5」を伝えました。当初からアフリカの試合をみたとき、攻守においてミスさえしなければ十分勝負になると考えてました。そのため5の意味としては、ボールを持てば5回継続してアタック、ディフェンスでは5フェーズ目までは我慢しようということです。ミスなく5回ブレイクダウンを継続して、アタックをすればトライを取れる可能性は高く、抜かれずに5回タックルするれば相手のミスで攻撃権を確保できると考えたからです。

1日目

マダガスカルはチュニジア、モロッコ、モーリシャスとプール戦でした。
初戦はモロッコ、次戦モーリシャス、最後にチュニジアでした。前回大会ではチュニジアに負けており、チュニジア戦が大事な試合でした。とは言うもののマダガスカルチームの傾向として、調子の波が激しいのと相手に合わせる傾向がありましたので、個人的に初戦が一番心配でした。幸いにも1戦目、2戦目はびっくりするぐらいの集中をしてくれ完勝でした。そして1日目の山場のチュニジア戦です。結果は14対7と接戦を制し、見事勝利してくれまいた。ここでも想像以上の力を発揮、改めて選手たちの本番の強さに感心しました。ということでCグループを1位通過でした。

2日目

決勝トーナメントの初戦はセネガルでした。なんなくと勝ち切りベスト4です。そして決勝を掛けて南アとの試合です。勝てればとは思いますが、試合前から厳しい戦いになることはわかってました。というのも、アフリカのラグビー事情でも触れましたように南ア、ケニアは別格でした。

結果は惨敗、24対0で何もできずという試合内容でした。私自身も気持ちはわかりますが、もう試合前から南アという名前に負けているようなチームの雰囲気でした。
そして、チュニジアとの3位決定戦がありました。1戦目よりタイトな試合でしたが、5対0と勝ち切ってくれました。個人的には、チュニジアに2連勝したことで、1戦目の勝利が偶然でないことを証明してくれて嬉しかったです。
一方で残念ですがオリンピックの出場権は獲得できませんでした。優勝できなかったといえど3位で世界各地域との敗者復活戦への出場権を獲得してくれて良かったです。

最終的に南アの優勝で終わりましたが、以前紹介したように南ア国内オリンピック委員会が認めてないため、2位のケニアが東京オリンピック出場となりました。個人的には優勝してもオリンピック出場できない南アの本大会出場には納得できず、そしてケニアと試合ができればとは思いました。

余談

飛行機(渡航費)の関係上、私はチームとは別でチュニジアに入国しました。
そのためチュニジアの空港から試合会場はマダガスカルチームでなく、ケニアチームと移動することになってました。しかし、待てど待てどケニアチームと空港で合流できません。後から聞いたところ、入国のためのビザ確認で長時間空港で足止めがあったようです。マダガスカルチームも同様だったと思います。私は日本人かつ、公用旅券でしたので入国に関して待ち時間はありませんでした。日本人のパスポートは最強とよく聞きますが、国によっては入国にも入念な準備が必要で、準備しても大変なことだと感じました。

最後に協力隊として思ったこと

予選後は継続して7人制の練習を行い、U-18にも携わらせて頂き近隣国との国際大会にも出場しました。そして約2年半、協力隊としてマダガスカルのラグビーに関わらさせて頂きました。(最初は活動がなかったので実質2年ぐらいかなと思いますが)

基本的に協力隊としての理想は、隊員がいなくても継続的な活動ができることだと思います。そのため主体的に動くよりサポートに徹し、現地人の自発的な行動を促すことが大事だと思います。とすると、私の活動は正反対だったと考えます。多少彼らの文化や提案を受け入れることはあるものの、基本的に私の考えで練習計画を立てました。乱暴に言うと相当好き勝手をして主体的に動いたと思います。というのも、他の職種と異なり、勝つということが財産、経験になり、あわよくばオリンピック出場が実現します。この経験等がコーチ、選手を変えると考えていました。申し訳ないですが、コーチ、選手の意見を受け入れた上で練習を考え、実行していたら試合に勝てるとは思えませんでした。
一方である日突然マダガスカルチームに加わり、訳の分からない日本人を受け入れてくれて、厳しい練習にもついてきてくれた連盟をはじめとするコーチ、選手には感謝してます。彼らの信頼がなければ、ここまで紹介させて頂いた素晴らしい活動と経験はできませんでした。
東京オリンピックは実現しませんでしたが、帰国後の国際大会での様子を見ると、セブンスワールドカップで勝利したりと着実に成長しているのかなとは思います。2024年パリオリンピックはより現実味のあることだとも感じます。10月にパリオリンピックの出場権を賭けたアフリカ大会があります。

今回で青年海外協力隊としての活動紹介は終わりとさせて頂きます。
長々と最後まで駄文に付き合っていただきありがとうございました。
また、このnoteが協力隊に興味があるラグビー関係者の役に立てればと思います。

ありがとうございました。
次回から留学理由や合格までの過程を紹介できればと思います。

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