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雪と東京


2020年現在、ユキという割とありふれた名前でインターネットで交流をしている。(喪服)と後ろについているのは、ユキを名乗る直前の名前だったのだが、いずれ消すつもりがずっとひっついた結果たぶん3年くらい経っている。幽霊が取り憑いているようだ。喪服を名乗りだした理由は、当時モノトーンの服ばかり着ていた自分に気がついたことと、誰かと被らない名前がいいなと思ったからだ。もっと前は最上とかクソ川とか(どっちも地元の川由来)名乗ってたけど、最上(もがみ)に関しては他人に初めて声で呼んでもらったときに「さいじょうさん」と呼ばれたショックですぐ名前を変えようと思った。実際変えた。そういう紆余曲折があって最終的によくある名前に着地したのは、そういうスクリーンネームで互いを呼び合うようなコミュニティに参加するようになってからだった。と思う。18歳半ばぐらいの時に高校生の頃から付き合っていた人が自分の元から離れていって、おそらく本人の自覚以上に心が闇に染まってしまった時期があって、ツイッターのサブアカウントに闇を昇華させた罵詈雑言(人を非難するよりは言ってて気持ちよくなるようなもの)を書き殴っていた。そんなものでも類は友を呼ぶもので、気がついたら東京を中心に何かしらの闇を自分でコンテンツにして面白おかしく発信している人たちとつながった。廃墟に写真を撮りに行ったり、狭い店で行われるDJイベントで知らない人に声をかけて楽しんだりした。インターネットでお友達を作って、その顔を見に行く行為は楽しかった。そしてその行先は大抵東京だった。山形県という東北の田舎者が東京生まれ、あるいは東京育ちの群れに飛び込んでいくとき、常に背中にはコンプレックスがしがみ付いていた。そんなある冬の日に、半ば自虐的に、うちの地元には雪しかないからね、と考えたところからユキは生まれた。なら雪と名乗ってもよさそうだけどそれでセツと呼ばれたらまたショックを受けるかもしれないからカタカナに落ち着いた。そういう経緯。

失恋してから20歳ちょいまでの記憶が、正確には時系列が、自分の中でも曖昧で、どの名前を名乗っていた時にどんな人と会っていたのかほぼ覚えていない。あの人とあんな店行ったかな、とかあの人の家で寝たっけな、とか、風景だけは短編のフィルム映画のようなぼやっとした映像が脳裏に浮かんでは消えていく。結婚をして帰るべき家ができ、コロナウイルスによって遠出が憚られ、そういう記憶は今後もっと薄らいでいくのだろうなと思う。カメラと着替えを詰めたカバンを持って独りで夜行バスに揺られたあの時間のことを、遠い夢のように。明け方の東京の冷たい色の街並みを、今はまだ覚えている。

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