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縄文時代と弥生時代の境界線ってなんだろう? 〜Answer編〜

こんにちは。縄文人になりたい現代人、ヤツシです。最近はめっきり寒くなってきましたね。ハロウィンも終わって、コスプレして浮かれていた皆さんも、気づけば「今年、もうすぐ終わるやん」って慌てて現実に引き戻された方もいらっしゃるのでは? 

そうなのですよ。気がつけば、もう今年も終わってしまうのですよ。気がつけば、このブログも4月からはじめてもう半年以上経過しちゃいました。皆様、いつも読んでくださってありがとうございます。なんて、まるで今年一年の締めくくりみたいに書いてますが、今年もまだまだゆるーく、まったりと続きますよー^^

さて、今回のテーマは「縄文時代と弥生時代の境界線〜Answer編〜」と題してお届けしてまいります! 

縄文時代って、室町幕府は室町幕府ができたから室町時代、江戸幕府ができたから江戸時代、という具合に、今に伝わる文献があればこそ、「ナンタラ時代」ということができるわけです。

ところが、その文献がないにも関わらず、縄文時代と弥生時代を学者たちは、どうやって識別しているのか。本日は、そのAnswerをお届けしてまいります!

答えはズバリ「本格的な水田稲作が始まった頃から」。
(研究者によって異説や差はあります)

そうなのです。水を引き、稲作がはじまったであろう年代を起点として弥生時代が始まります。

とはいえ、現在でも地域によって文化の差があるように、地域差はあったようです。たとえば井戸尻考古館がある富士見町も含めた中部から関東地方では、灌漑水田稲作は弥生時代の中頃まで行われず、アワやキビのような雑穀栽培を行っていたようです。このように地域によって多少の違いはあれど、日本列島全般で言えば、概ね上記の認識となるようです。

これを具体的な年代で言えば、縄文時代がおよそ1万2000年前〜2500年前、弥生時代が紀元
前500年前〜3世紀半ばごろ。

弥生時代のこの年代は、少し前に映画になっていた漫画『キングダム』の時代から、有名な三国志の時代とほぼリンクしますよね。そう考えると、少し日本の文化って少し今の時代に伝わっていないことやわかっていないことが多い気がします。

だからこそ、まだまだ研究する余地も、私のようなど素人が妄想する余白もあるという縄文時代の魅力を感じた今日この頃です^^

今日はこんなところで!





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