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春爛漫、縄文時代の「別れ」

こんにちは。縄文人になりたい現代人ヤツシです! 皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか?

最近は、だいぶ暖かくなってきて、猛威を奮っていたコロナウイルスに関しても、だーいぶ落ち着いてきて、マスクの規制もだいぶ緩和され始めた今日この頃。先日野球を職場で見に行ったのですが、むしろ球場内ではマスクをちゃんとつけている人の方が珍しいくらいでした。応援席では応援歌もガンガン歌われ、コロナ前の活況が戻ってきた感さえあります。身の回りでも会社ではこの時期、人事異動、定年退職などなどのイベントがある時期ですよね。コロナもだいぶ治ってきたおかげで、出会いと別れの中で歓送迎会もどんどん開催されるようになってきました。
このまま、二度とコロナとはお別れ! そうなって欲しいものです! 

さて、このブログは、縄文時代について書くブログでございます。リーマンヤツシの気ままなるブログではないのでございます。縄文時代の別れ、といえば、それは少し重たい話になりますが、それは「死」が、最も一般的な「別れ方」になるのではないでしょうか。

そこでいうと、私はすごく気になっていたことがあるんですよね。現代とか、ある程度医療が発達した時代になると、医者が「ご臨終です」とか言って判断してくれるし、一般人である我らも多少なりとも知見があるわけで「息をしていない」「脈がない」と言ったことで判断もできます。

が、そういった知見があるわけでもない縄文時代の人々はどうやって判断していたんだろうかと。ひょっとしてこんなやりとりがあったのかもしれません。

奥さん「なんか隣の家の人が、ここ最近全然出てこないんだけど・・・あんた見てきてあげなさいよ」

ご主人「おお、見に行ってきたけど、普通に寝てたよ。ただおかしいんだよな。なんかすげー匂いしてるし、肌が妙に青白いんだよなー」

奥さん「あんた、それ! もしかしてお亡くなりになってるんじゃないの!?」

こんな火曜サスペンス的な感じでなくても、普段動物とかを狩って生活していたり、集落の周りの方々が死ぬなど比較的死が身近にあったことから、徐々に「死」という概念が浸透していった・・・。

もしくは「死」という概念が理解されるまでは、少し時間が経てば、「また起き上がってくる、一種の病気のようなもの」と解釈されていたんじゃないかしら・・・。

縄文時代のお墓、場所にもよるそうですが、結構集落のど真ん中にあったそうです。復活してきた時にみんなで助けられるように、そうしていたのかも。縄文時代は基本的に屈葬だったそうですが、胎児が眠るようなスタイル。皆さんもぜひやってみるとわかるんですが、足を折り曲げて眠ると、結構眠りやすいんですよね。ひょっとしたら、眠りやすいようにそうしていたのかも。

ただ、一方で一つ怖い話があります。縄文時代のお墓の中には、岩でご遺体に重し乗っけてる墓もあったそうです。地域差とかもあるのでしょうが、「魂が浮遊して、死んだ者が蘇って生きている者を襲う」と縄文人は考えていた可能性があるとか。

この場合、「死」という概念は理解していることになるから、もしかすると多少時代が違う、とかそう言った影響もあるのかもしれませんね。何せ弥生〜現代まで合わせても足りないぐらいのながーい縄文時代。縄文時代は奥深く、はまれば沼る縄文時代。まだまだこの時代のことを知っていきたいと思えば、縄文時代とはまだまだお別れできそうにないヤツシなのでした。

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