『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』ートラウマを乗り越えて喪に服す物語ー

 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(以下あの花)はトラウマと喪に服す物語だ。
 過去に事故で死んだめんまが幽霊として 引きこもりであるじんたんの目の前に現れる。そこで彼女は「めんまのお願い」を叶えてくれと願う。そこから過去で「超平和バスターズ」というグループを組んでいた親友だった元々はガリ勉だがギャルに転身したあなる、世界を放浪していたぽっぽ、進学校に通うゆきあつ、つること共に「めんまのお願い」を模索していくという青春物語だ。
 ここでめんまを除く全ての登場人物が自分たちがめんまが死んでしまったという原因を抱えている。
 全員が「めんまの死」というサバイバーである。ゆきあつはめんまのコスプレをし、彼女の死を受け入れずに自分で再生産していた。あなるも周囲に流されるままギャル化したが心の奥でトラウマを抱えている。ぽっぽもトラウマを忘れるために世界を放浪する。つるこはトラウマを表面化させないように振舞っている。
 トラウマのサバイバーである彼らは「めんまのお願い」を子供の時に打ち上げようとした花火だという考えに至り行動を開始する。特に顕著に変わったのが主人公であるじんたんだ。彼は引きこもりから脱出しバイトを始め花火づくりの資金を集めるために奔走する。
時間が彼らの距離を開けていたが「めんまのお願い」の為に彼らの繋がりの歯車は動き出す。
そして花火が打ち上げることが可能になり「めんまのお願い」である花火を打ち上げても彼女は成仏することは出来なかった。
花火を打ち上げた後、めんまを除く全員が集まる。そこで全員が「めんまのお願い」の為ではなく自分のトラウマを克服するための自己中心的な願いで動いていたことを「告白」する。
ここで彼らのトラウマの克服は自己の為にトラウマを克服するというで行った花火の打ち上げは失敗したということが表層化する。
しかし、「めんまのお願い」は花火の打ち上げではなく、じんたんの亡くなった母の願いである自分の病気のせいで気を使って感情を表に出さなくなったじんたんが「自分の感情を表に出してもいい」という約束であったことをめんまは思い出す。
しかし、彼女に残された時間は少なかった。そして朝焼けに染まる物語の最後に超平和バスターズの面々に感謝の手紙を書いて彼女はゆっくりと消えて行く。
そこで初めて物語でじんたんは涙を流し、「ありがとう」という感謝の言葉を口にする。そしてトラウマを抱えていた登場人物たちは物語のラストでめんまに対して「ありがとう」と叫びトラウマの克服は完了し「ありがとう」という言葉で彼女の死を受け止め喪に服すことで個人のトラウマを自分の物語から他者へ分有する。
そして物語は時間は止まらないだからこそめんまの死を忘れずに進み続けなければいけない。じんたんは学校に登校するようになりぽっぽも通信で高校の卒業の資格を取ろうとする。ゆきあつ、つるこは少しだけ素直にお互いを認め合うというモノローグで物語は終わりを告げる。

『あの花』のスタッフは『とらドラ』を制作したチームで製作されている。『とらドラ』の「優しさの地獄と大人になる」というテーマから昇華させヘーゲルの言う限界状況である「死」を現存在で受け入れて大人になるという覚悟性を持つというテーマになっている。

ここで話を飛躍させるが『あの花』は東日本大震災以降に作られた作品である(この事件が制作にどこまで影響したかは不明だが)一万四千人以上の死者を出した巨大な暴力に対して私たちは生き残ったことサバイバーであることを物語としてトラウマとして抱えるのではなく、他者と分有して喪に服し忘れないということが重要ではないのかと『あの花』を観て思った。

最後に『あの花』を見終わった後にTHE BIRTHDAYの『愛でぬりつぶせ』という曲の歌詞を思い出した。

未来はどれも 同じじゃなくて
選んだ方に 向かうんだから
なぁ パンクス
グチってばっかいねぇで 愛で
愛でぬりつぶせ

喪に服した後に亡くなった人を記憶として忘れない。そう記憶を愛でぬりつぶせ。

(余談)
『とらドラ』の作者である竹宮ゆゆこの『ゴールデンタイム』でも幽霊という概念がでてくるがそれもこの作品に影響しているのかぁと思った 。

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