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海外で日本語教師をするということ(6)学生の反応編

学校が違えば、学生も違うので、ご参考までに見ていただけると嬉しいです。これから書くのは主に学生の反応です。日本で授業をした時は、まるきり違う反応に驚きました。

1.授業中のようす

今の時代、世界中で見られることかもしれませんが、携帯を使う学生が本当に多いです。言語を学ぶ学生なのに、紙辞書・電子辞書ひとつ持っていない学生が教室の中に2/3以上いました。もちろん携帯が電子辞書にとって代わることができるのかもしれませんが、それ以外の機能がついているのも携帯。ついついWechatでやりとりやゲームをやっているのです。

そんな調子なので、授業中も携帯片手間に先生の話を聞いたり、当てても呼ばれたことすら耳に入っていないことも。ほかの学生の発表になると聞くことすらしません。

驚いたのは、読解のプリントを配った時、携帯をかざして、一瞬で自動で翻訳文を出して「できました」と言って来たこと。

前提として、中国の学生は、日本の学生より先生への尊敬の気持ちが大きく、失礼に値する行動などを取らないよう、それはそれは厳しく高校までは指導されています。また、怖い先生や権威のある先生の前では決してそのような態度はとりません。相手をよく見て判断し態度を変えています。その辺りは、日本の学生よりも大変利口だと思います。

若い女性の場合、なめられやすい対象になります。最初の方は学生とうまくやりたい一心で、にこにこ笑顔で優しい理解のある先生でいようとしましたが、いつの間にか学生のご機嫌をとるようになっていました。それがどんどん学生をエスカレートさせてしまう結果に。このままではダメだと、毅然とした態度をとるようになると、あからさまにSNSで悪口をかかれるようになりました。

私は、そのような態度や行動がすごく気になってしまい、毎日授業に行くたび学生の反応に落ち込み、傷つき、自己嫌悪し、もっと頑張らなきゃと万全の準備で行くも、そんな努力もむなしく、手元の携帯ばかり見ている学生のようすに、家に帰っては号泣して、教壇に立つのも怖くなってしまいました。

同じような状況でも、全く気にしないで無視できる先生が大半です。こればっかりはその人自身の性格や経験に大きく関わっていると思います。相談しても「大丈夫、無視して」「厳しく叱って」以外の言葉は返って来ませんでした。

「私たちの仕事は授業をすること。相手が授業を聞こうが勉強しなくても知ったこっちゃないよ」と、学生から最も人気のある先生にはこのように諭され、でも一応私たちって「先生」なのに、それでいいの…?ってモヤモヤ。

「うちのクラスにはそんな学生はいないよ」と言っている先生が、参考にしてみたらいいと見学させてくれたこともありました。後ろから見ると、みんな机の下でやっぱり携帯をやっていて、「ああ、気づいてないか、無視できるか、気にするかの違いだけで、似たり寄ったりなんだな」と。

ある中国人の先生がそんな私を励ましてくれたこともありました。

孔子の弟子は3000人いたけれど、その中で真剣に教えを聞いて、実践して大成したのは70人と言われている。あんなに素晴らしい偉人の先生でさえ、2930人を変えるのは難しかった。孔子のレベルにすら達していない未熟な私たちが、クラス全員を自分の思い通りにさせるのなんてそもそも無理な話。一人でも「今日授業に来て楽しかった、よかった、学べるものがあった」と思ってもらえるだけで合格なのよ、と。

私もまだ自分の中で答えは見つかっていません。もがている最中です。理想に向かって努力している段階です。

2.ここが違う、まさに異文化!

授業準備の段階で「ココはウケるだろうな」とか「こんな反応が返ってくるだろう」とある程度予想を立てて段取りを組んでいます。でも実際に授業をしてみると

え!ここのどこが面白いの!? あれ、ここはスルー!?の連続。

もちろん日本人相手でも、思ったような反応が取れない時はありますが、こちらが理解に苦しむレベルで反応が全然違ったりします。

※もちろん授業ではありえないシチュエーションかと思いますが、下ネタはかなりリスキーな話題です。日本だと、ご飯食べながら話す人もいますが、そんなことした日には空気は…です。(留学時代に大しくじり済み、それで初めて学びました)

中国人の友達に、日本のバラエティ、背景に笑い声が入っているけど、全然面白くないところで入っている。なんで?日本人はどう思っているの?と言われて、私は全く気になったことがない=つまりその笑い声を自然に受け止めていました。

でも今中国にいて、中国のテレビや動画を観ても、意味がよくわかりません。言葉的な意味ではなく、なぜここが笑いになるのか理解できず、私もあの友達のようについつい聞いてしまいたくなります。

バックグラウンドが大きく異なる私たち。

自分の当たり前は、当たり前じゃない。自分の常識は、他人にとって非常識なこともある。

と思いながら生活しています。

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