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死にたいほど生きたい


死にたい」って本気で思ったことがある人を心から尊敬する。
それほど人生を本気で生きているという証拠だから。
中途半端に生きたくないから何か失敗したとき、
将来を悲観したとき、死にたくなる。

時に過去の失態だらけの自分が恥ずかしくなる。
この先もどうせ良いことなんて起きないだろうから
生きている意味がない、
完璧で理想的な未来像が描けないから
生きる価値なんてないんだと思ってしまう。



死にたいという気持ちって、
生きたいっていう気持ちの表れな気がする。
生きたくて生きたくて仕方がないけど、
それが辛くってしんどくなってプレッシャーと
ストレスに押しつぶされそうになって
死にたいって思っちゃうんだろうな。


「貧しい国に生まれて食事もまともに食べられない人がいる、
日本に生まれただけで幸せだ」
なんて言われてもちっとも救われない。

病んでいる人は甘えだって言う人もいるけど、
病んだことない人には絶対に分からないこの苦しみ、
本当に毎日が生き地獄…



誰かに相談しても返ってくるのは説教とアドバイスばかり…
別に叱られたいわけでも何かアドバイスが欲しい訳でもないのに。
ただうなずいて聞いて欲しいだけなのに。
だから悩みの相談は人形にだけすることにした。


何度も強くなろうとした。何度も変わろうと思った。
泣いてしまうのをこらえようと思った。
しんどいことから逃げるのをやめようと思った。

だけど結局またここに戻って来ちゃう。
誰とも会わずに静寂に包まれていたくなるんだよね。


もっと人生テキトウに生きられたらなって何度も思った。
別にモテたり金持ちになったり有名になったりしなくていいからさ、
ただ普通に人生を送れたらなって死ぬほど思った。
普通の人間になりたいと思った。


周りの人が全員輝いて見えて、
毎日楽しそうに生きていて羨ましくて、
私なんてこの世にいてもいなくも変わりないと思ったときに
この世から消えたくなる。たとえ私が死んでも、
この世は普段通り時を刻んでいくだろう。


人と喋るのが怖くて、人に見られるのが怖くて、
外に出るのが怖くて、
でも一度引きこもるともう二度と戻れない気がして…
その狭間を苦しみながら行き来している。



不甲斐ない自分をどうしても許せなくて、
小心者の自分がどうしても好きになれなくて、
どれだけ頑張っても自分に自信が持てなくて、
生きる価値もないのに死ぬのだけは怖くて…
生きたくもないけど死にたくもない
だからほんとうに毎日が苦しい



別にポジティブ人間にはなれなくてもいい
メンタルをフラットに保っていたい
アップダウンがなくいつも平坦でありたい
特別な人間にならなくてもいい
ノーマルになれればそれで満足



数年後、私はまだ生きているだろうか。









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