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思いこみの理想など 忘れてしまえ

第9週 6月2日〜6月8日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、今風にいうと、潜在意識のブロックを外して、自らの波動と心を整えてゆくように!ということのようです。思いこみの理想を忘れ、解放される時間をつくりましょう。

では、読み解いてまいります。

I. NEUNTE WOCHE (2. JUNI – 8. JUNI [1912]).

9.
Vergessend meine Willenseigenheit
Erfüllet Weltenwärme sommerkündend
Mir Geist und Seelenwesen
Im Licht mich zu verlieren
Gebietet mir das Geistesschauen
Und kraftvoll kündet Ahnung mir
Verliere dich, um dich zu finden.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912


  私に書込まれた偏りを忘れて 
  夏の訪れに包まれよう
  私を包む力学と心のありかから
  光の中で自らを解放させよう
  大いなるものを観るように促されるだろう
  そして力強く予感がこう告げる
  自分を知るために、自分を消すのだ、と


*  

偏見と理想

対話をおこなう際、何が必要なのでしょうか?
多様性を求める社会に変わってきて、対話が日常化して、相手を否定することなく、話を進めればいいんですよね。ということが常識化して、とにかく、not butではなくand moreでが、あたりまえに変遷してきました。

10年ぐらい前は、まだ、対話とは何か?を論じる機会も多く、対話?何それ?という人の方が圧倒的だったのを思い出します。今、思えば白か黒かではなくグレーな時代を進むためには必須なことだったのでしょう。

その頃、対話の研究をしてゆく中で下記の文章に、ハッと気づかされ、目からウロコがおち、心得なくてはいけないポイントが明白になったのです。

偏見は、理想、信念、信仰と共通点をもっています。これから世界の実情、外部の世界においてだけでなく、内部の、心理の世界で起こっていることを観察していく際、私たちは一緒に(together)考えることができなければなりません。そして一緒に考えていくためには、私たちの偏見や理想等々に注意しなければなりません。なぜならそれらは、あらゆる混乱、不幸、テロ、破壊、とてつもない暴力を超越したものを一緒に考え、一緒に観察し、一緒に吟味し、そして一緒に発見するのに必要な能力とエネルギーを妨げてしまうからです。
このすべて、現在起こっている外部の事実だけでなく、それ以外のものも含むあらゆるものごとの深さ、その意義を理解するためには、私たちは一緒に、つまり皆さんと話し手とが別々にではなく、一緒になって同じことを観察することができなければなりません。ところがそのような観察、吟味は、私たちが自分の偏見や、特定の経験、特定の理解に固執しているかぎり、妨げられてしまうのです。

「英知へのターニングポイント」J・クリシュナムルティ

偏見がまずいのは、そりゃそうだと誰でも腑におちるはずですが、自分の理想というのも相当ヤバいんだよ!とは、なかなか感じにくいものなのではないでしょうか?

たしかに、この世をおかしな方向に導いているものは、理想なのですよね…だれかの圧倒的な理想像と多数決よって構築されています。それでも問題の解決はできないのですから、解決に向けた対話をおこなう際は、理想も一度、横においておきましょうというのがポイントなのです。

この本質は、いまだに理解されていないことが多く、たとえば、学校などで生徒が先生に相談事をする際。まず、生徒の現状や課題などを聴くだけ聴こうと、人間は言葉に出せばストレスは低減するだろうというぐらいの理解で、とにかく問題点を発見するために一所懸命に聴くだけ聴くのです。

「言うだけ言ってスッキリした?」と、ここから攻守交代し「学校とはこういうところだからね…」とか言って、自分の理想をインプットしようと躍起になるのです。自明なことを繰り返すわけです。

このような、偽モノの対話を通して生徒が傷つけられてしまうなどとは想像もできないのでしょう。おそらく、生徒は相談などしなければ良かった、先生とは距離をおこうとなるでしょう。

そして、先生は、相手のことを否定せずにちゃんと話しを聴いているのに、文句言われるのは心外です…となります。

では、どうすれば良いかというと、その生徒への偏見を捨てることよりも、先生自身の理想を捨てることの方が重要になるのです。学校はこうあるべきという理想です、おそらくそれが常識だろうと信じて疑わないものです。逆の立場である生徒にとっては、それが偏見なのですね。

先生も生徒も偏見と理想を一度忘れて、一緒に新しい姿を構築してゆくのだという姿勢がないと対話は成立しないのですよ。とくに弱者と強者に立場が分かれる場合は、強者の対話への理解がなされていないと悲劇がまきおこされてしまいます。

私はクリシュナムルティの文章に出会えたおかげで、理想を棚上げし、場合によっては捨てられるようになりました。常に、フラットな状態で人と接していけるように心がけ、人と供に、アイデアを構築してゆけるようになったのです。

でも、対話などに興味を持てないような人と、まっとうな解決策を見いだせるわけなどありません…。相手が、解決ではなく、ただ他を支配したいだけという欲望の支配されている場合、対話自体の偏見と理想のパラドックスにハマってしまうのです。限界を超えたムリムリな関係では逃避するしかないのです。

注意していても、実際にはついつい理想というものに…。
引っ張られてしまうのです。

まずは、あなたが偏見と理想を捨てられるかどうかがカギになります。


*  


潜在意識の書き換え


ここまで、人との対話という視点で書いてきましたが、自分の内でする内省においても偏見と理想に注意が必要なのだ。というのが、ここからです。

たとえば、お金に対して、お金儲けは汚いもの。お金持ちは人を傷つけズルして稼いでいるし、何か大きな犠牲を払っている。お金関係が妬みやマウンティングなど人間関係の問題をまねく元凶になる。といった、情報や過去の体験から刷り込まれてきている偏見があります。

また、お金など無くても、人として清く正しく生きる方が美しい。私腹を肥やすより世の中のため人のために生きるの方が正しいのだ。細かくカネカネ言わない方がスマートなのだ。といった理想を持っている。

これらの偏見と理想によって、お金が無いという現実を生み出し、不安をつくりだしているです。

そこで、「お金が汚いもの」という偏見を、「お金は人生を豊かにする道具なのだ」という信念に置きかえるわけです。お金は感謝のエネルギーの塊、しっかり受け取って次の人にエネルギーを循環させ、豊かさを広げてゆくのだ。という心を持てるようにしないといけないわけです。

この手の無意識や潜在意識の書き換えは、今やブームになっているようで、同じようなストーリーをよく目にするようになりました。

あなたも、アーティストなんかじゃ食えない!貧乏確定、ボロボロの服をきて痩せ細り、ギリギリで、その時代には誰も認めてはくれない作品を制作し続け、死後、運が良ければ、ようやく認められる。なんていう理想を持っていませんか?

いい作品つくっている人は、ビンボー…です。

かくいう私は、この言葉を激しく刷り込んできてしまった自信があります!

でも、最近流行の潜在意識の書き換えをマスターすれば、変われるかもしれませんね。生きてゆく中で、トラウマまでゆかなくても、刷り込まれてきている何かによって、幸せになれないのはもったいないですよね。

で。

あなたが表現者であれば、活動費用が大切なのはもちろんですが
もっともっと、深い無意識や潜在意識へのアプローチに興味を向けてほしいと思うのです。

自分を知りたかったら、外を観よ
世界を知りたかったら、内を観よ

という言葉どうり、自我という壁を取り払い。
フラットな状態で内にも外にも無限に広がる世界を注意深く観。
そして、感覚し洞察する。

大いなるものの視点で美しきものに出会うとき
生命や愛の謎に触れられている感覚とはどのようなものでしょうか?

この人生で、そのような、イメージに少しでも近づけたら…
幸せだと思いませんか?

相当な野望になってしまいました…。

あなたの潜在的な信念をさぐる方法として、とにかく言葉を吐き出してみるようなジャナーリングをお勧めいたします。

でも、人によってはシャドーと呼ばれる深く危険な領域もあるそうです。自分に合いそうなプロセスを探るためには、書籍や専門家のガイドのもと試してみてくださいね。



2024年6月柏葉紫陽花

  


ヤスリがけ


ちょうどいい気候なので
単純な作業にも集中できる頃ですね。

外にでて一心不乱にヤスリがけなどをしていた
記憶が呼び覚まされます。

ひたすらに表面を美しく仕上げる作業に
何の意味があるか?
相性がいい作業に出会い、手を動かすことに集中することで
意識がわき上がってくる
感じられるものに耳を澄ます。

そして、手を止めたとき
梅雨前の強い日差しの中で、そよぐ風のここちよさ。

表面をさすったとき
理想もヤスリで消され
心が解放されたと、気づくはず。


ヤスリがけという単純作業には、自己成長が隠れているんですよね。たとえば、庭仕事をしたり、窓をあけて掃除をしたり、詩のコトバを選んだり、料理をしたり、する中にも常に偏見と理想が在ることへの気づきがあるかもしれませんね。



シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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