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制作日記-フリーライダー&マスクライダー

今日のタイトルをみて、どれだけの人が興味をもって来てもらえてるのでしょうか?あーっ、自分の周りのもいるいる、とか、マスクライダーってなによ?と、楽しんでくれていれば幸いです、そして、それがアートとどう関係しているのか?そこのところを掘り下げてゆきたいと思います。


フリーライダーという言葉をみて、なんか悪者めいたイメージを持たれている方も多いかと思います、そして、その悪さを表現しているのか?と感じている方も多いかもしれません、でも、実は、そういうタイプの人は、いるのだけれど、そんな人も世の中の一員ですし、面白がって観察してみてはどうだろうか?


なぜなら、中身を抜いてしまえば、人物なんて風船みたいな存在だし、マスクだって、その人が余計なことを言わせないための装置と見立ててみたら、こんなカタチになるんじゃないかな、というものを絵から感じ取って欲しいのであります。


働かざる者食うべからず、と言われながら育ったため、どこか苦しい思いをして労働していないと世の中では認められないと、小さい頃からすり込まれてきているように感じます。そして、社会に出てみると、働いているふりをして生業を獲ている人も一定数いることを学びました。実はそう人が多いが故に、上のような格言ができ、人々がサボらず、自分の仕事を持ち、役割を全うするように仕向けられているのでしょうね。


私は、アーティストなので、サボるなんていう概念はなく、描きたいのに描けないストレスの方が大きいですし、制作の資金稼ぎも効率よく、やるべきことはサッサとやって、いただくものはいただき、トットと自分の世界に引きこもりたいと行動していますが、サボりたい人が多くいる現場では、もてはやされたりして、うまく稼げていることに感謝しかありません。


しかし、フリーライダーの多さに、この社会、大丈夫か?と思ってしまうことが、しばしばあります。人が苦労して生み出したものを、鵜飼いのように吐き出させ、恥じることもなく、それを私が創り出したものです!と堂々と言えてしまうって、どうなのでしょか?しかも、値を釣り上げるための構造をつくりだすことが仕事であることへの愉楽を感じている表情をみると、少し怖さを感じることがあります。


しかし、そのようなコトも、そんな役者がいて、ドラマが成り立っているわけで、表現者たるもの、全てにおいての清濁を観察する責務があるのであります。


さらに、世は、ますますのマスク時代、愉楽の表情を見抜くことは、いっそう難しくなってきているのでは? 近づくのも危険を伴うので、アートのモチーフとしてはふさわしくないかもしれませんね。


今日は、このあたりにしておきます。
ここまで、読んでいただきありがとうござます。


では、また。


 


© 2023 Yuki KATANO

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