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向こうから表れし沁み(阿頼耶識・三界)そして、変容し続ける

毎日のように、まだ知らない世界との出会いがあります。

阿頼耶識(あらやしき)という言葉に巡り会いました、無意識や暗黙知などを調べれば調べるほど、人類はとうの昔にそれらのことは研究しつくし、「何をいまさら掘りおこしているのだね?」と、
先人たちが、横で微笑んでいるかのような気分になります。

阿頼耶識とは、仏教の教えである意識はいくつあるか?の八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・ 末那識・ 阿頼耶識)の中の最深部であり、一人ひとりのそれぞれの存在がすでに記録されているアカシックレコードなどの概念にも近いもののようです。

そもそも今日は、最近、読んでいる本に出てきた三界(さんがい)という言葉を調べていました。

三界とは、欲界・色界・無色界のことを指していて、欲界は言葉どうりの意味合いで、その上の色界とは物質的な世界で、ここには清らかで純粋な物質だけがあるといいます、美しきものはここに収まるのでしょうか? そして、無色界とは物質が全然存在しない世界で、精神的なもののみが存在している世界とのこと、美しいと感じる心はここでしょうか?

結局のところ、阿頼耶識に蓄えられた自分の業(ごう)によって、一人ひとり、まったく違う世界を生み出し、違う時間をすごし、違うものをみて、美しさ感じているのということですね、そして、肉体が滅びても、阿頼耶識は続いていて、蓄えられていた業力によって、次の美しき世界を生み出すしてゆくという、

『ゼロ・ポイント・フィールド仮説』とは、一言で述べるならば、この宇宙に普遍的に存在する『量子真空』の中に『ゼロ・ポイント・フィールド』と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙すべての出来事のすべての情報が『記録』されているという仮説である。

死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)田坂広志(著者)

この、ゼロ・ポイント・フィールドの仮説もすごく近く感じます。そこに記録されている美を私たちはそれぞれ感じて生き、そして、死んでゆくということでしょうか?

◇◇◇

科学と仏教の両方が共通して得た結論の一つは、創造主が存在しないということです。科学では、物質とエネルギー保存の法則において、物質とエネルギーは、つくられることもまた破壊されることもなく、変化するだけだとします。仏教徒はこれに賛同し、この理論を心(マインド)にまで拡張できると考えます。仏教における「心(マインド)」とは、現象の認識 – 意識的であれ無意識であれ – を意味し、現象認識は生じることもなく破壊されることもなく、ただ変容することのみが可能とします。それ故、輪廻転生とは、個人の現象認識が継続し続ける連続性(心相続)の中で単に変容することで、その連続性(心相続)の変容が転生した他の身体という物質的土台で起きることです。

https://studybuddhism.com/ja/kou-taku-na-kyou-e/reki-shi-to-aya-ka/gen-shiro-ni-o-ke-ru-futsu-kyou/futsu-kyou-to-ka-gakuアレクサンダー・ベルゼン博士

そして、変容し続ける。

シンクロが劇しい今日であります
与えられるものに日々感謝しております。

この辺で、また明日。


向こうから表れし沁み
Sink from the other side
© 2023 Yuki KATANO


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