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私は○○な理由で映像翻訳の沼にハマりました。

  初回のブログで「ブログ書きます!」と宣言したところで(さあ、もう引き返せない!)、2回目のブログでは自己紹介的なものを書こうと思う。

 私は長崎県在住のフリーランス翻訳者で、主に字幕と吹き替え翻訳の仕事をしている。いわゆる映像翻訳者だ。映像翻訳者というと「小さい頃から映画が好きで、字幕を付けるのが夢で~」みたいなストーリーを想像されがちだが、そんなことはない。むしろ「気が付くと流れ着いていました」というのが正しい。

 思えば中学生の頃、映画誌『ロードショー』を買って読んでいたし、リチャード・ドナー監督の『グーニーズ』はセリフを覚えるほど繰り返し見た。しかし日本の西の果てに流れてくる映画の情報なんて、たかが知れていたし、映画好きを自称するほどではなかったように思う。当時、私が夢中だったのはクラシックピアノだった。バッハやベートーベン、ショパンなどの曲をそれこそガチで練習しプロになりたいと思っていたが、「東京の音大に行かせるのは無理!」と親に言われて道を断念。その後は、得意だった理数系の道を選びエンジニアとして就職した。しかしその道には何かが欠けていた。専門職で報酬も悪くはなかったし、尊敬する先輩たちにも出会えて仕事に対する小さな誇りも芽生えていた。でももっと深く没頭できることがしたかったように思う。そしてクラシックの道を途中で諦めたことが、ずっと悔しさとして残っていた。

 はい、ここまでが20代前半までの振り返りだが、英語の「え」の字も出てこない。どこから出てくるかというと、就職した後だ。学び直しのために趣味で始めたのが英会話だった。最初は、英語が話せたらカッコいいだろうなぐらいのノリだった。でも英語を通じて、外国人はもちろん、英語を学ぶ他の職業の人とも話す機会ができたことに、すごく感動した。「語学を学ぶと目の前の世界が大きく広がる」ということを知った私は、英語を真剣に学ぶようになった。そして徐々に私の生活に英語というものが浸透していったのだ。

 翻訳の道に進もうと決めたのは、英会話学校でそこそこ上のクラスに進級したころ、同じクラスの友人に翻訳のお手伝いの仕事を紹介されたことがきっかけだった。ドキュメンタリー番組の制作に使うインタビューテープの翻訳だ。英語の聞き起こし原稿があったのでネイティブの発音を聞き取る必要はなく、当時の私でもギリギリこなせたらしい。以来、「インタビューテープの翻訳をちょこちょこ手伝う」→「本格的に映像翻訳の勉強をしようと思う」→「映像翻訳学校に入学」→「プロになる」の流れで今に至っている。

 「小さい頃から映画が好きで、字幕を付けるのが夢で~」みたいなスタートラインでこの仕事を始めていたら、私の自己紹介は、この1/3で終わってたかもしれない。しかし私の場合、かなり端折ってもこの量だ。音楽の道を諦めたあと、英語を通じて目の前の世界が広がる素晴らしさと出会い、この仕事にたどり着いた。本当に「気が付くと流れ着いていました」ぐらいの道を、かれこれ13年も歩いてるなんで、どうかしてると自分でも思う。 でも映像翻訳は、作業にとことん没頭できるし、新たな世界を知ることができる。これが私が映像翻訳の沼にハマった理由なのだろう。

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