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伝えることと伝わること、あるいは建設BIM

こんにちは、今回のお話は、
“伝えたいことが伝えたい人たちに伝わるように
言い換えること が一人ひとりの知恵の出しどころ”
というお話をしたいと思います。



専門的と呼ばれている(であろう)物事の理解の困難さの何割かは、
専門用語:特定の社会・文脈・人達に向けた言葉
の読み解き
によると私は思っています。
ここを互いに分かるはずと無条件に踏んでしまうと、
せっかく私たちが伝えたかったはずの大切なものが、途端に争いの種に変わってしまいますよね。

どの様な分野であっても、技能習得のためには以前から‘その場所’で使われてきた、用語というものを理解する必要が出てきます。
そこには繰り返しを避けるためのやり取りの効率化や、微妙な違いを持つもの同士の厳密な区別、といった意味合いがあると思います。


しかしその習得した技能や、技能を用いて作ったものを私たちが誰かへ伝えたいと思うとき、
私たち自身が学ぶため、作るために利用してきた方法、用語を、
そのまま私たちが伝えたいと思う人へ使うことは、はたして妥当と言えるでしょうか?
ここには習得した事をより一般に共有する際に起こる困難があります


私個人的はその困難解消のために、
可視化のための技術、建設関連の言葉で言えばBIMの活用に固執しています。
これはいわば、データベースという箱庭の中に日々入れ込まれて来る様々な用語<データ>を、
意味を持つ3dモデルという、おもちゃの積み木の様なかたちに’言い換える‘ことで、誰もが扱えるようにする作業です。

様々な技能、様々な人達が徐々に別々に作り上げてきたプロセスのなかで、
用語という仮設されてきた壁を取り払う
こと。

‘見えることはわかること’  というのが私の基本にある考え方です。
互いに互いのしようとする事、望みがわかることで
思わぬ気づき、異分野間でのイノベーション、
関係者と一般社会の間で’納得できる場所‘が生じてくると考え活動しています。


こうした言い換えの作業は、伝える相手の前提となる背景、辿ってきた文脈、知っている/知っていないこと等のために、必然的に毎回異なるかたちになるはずです。

いま貴方がおられる状況の場合には、どのような言い換えが効果的になるでしょうか?
一緒に考えていければ幸いです。





~今回の余談~
ひとつのもの、例えば港や空港、沢山の人々が関わって作る、利用するものの計画、建設。
そういった物事を変えていく・物事が変わっていく営みを円滑にすること、
その変わるプロセスのなかで、より多くの人達の意見が交わされる場をつくりたい、
そうして出来た土地の上を歩いていたい、というのが
根本的な私のモチベーションにあります。


世間話をするようにエンジニアリングを駆動できなければ、恐らく多くのひとが納得できるまちを作ることは出来ません。
誰もが参加でき、その中で個々人の専門性が光るような景色。
結果的にその中で、神経多様性やノーマライゼーション、社会的包摂といった重要な要素(これも特定の範囲での用語ですね)が時間をかけて培われる、
あるいは自分達が自分達の作った場所で、培っていくことになるのだろうと思います。

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