わたしのCore-Values. #5鎌野暁斗 〜企業の課題をより深く…「信用」から「信頼」へ〜
世の中にはたくさんの仕事があって、それに携わるそれぞれの人のキャリア観や人生観がある-。
マガジン「わたしのCore-Values.」は、そんなひとりひとりの「想い」にスポットライトを当てていきます。
今回は、中学高校の同期であり、15年以上の付き合いになる鎌野暁斗さん。現在は地域の金融機関で働いてますが、30歳を前に自らのキャリアビジョンを、再考されているのだとか。そんな鎌野さんの「Core-Values.」に迫ります。
鎌野さんとは今でも多くの連絡を取り合う仲だ。フットサルやキャンプ、それぞれの仕事観については語ることが多い。
今回の取材は、それでもどこかミステリアスな一面も残す彼からの依頼であったため、驚きと喜びが沸いたことを記憶している。そんな喜びとともに2021年2月末、取材に臨んだ。
※高校時代の部活の1ページ(左から4人目が鎌野さん)
「多くを語らない努力家」な学生時代。
——インタビューの依頼ありがとう!今日はよろしくお願いします。
「こちらこそありがとう!ご存知の通り自己表現が苦手だから、お手柔らかによろしく(笑)。」
——それはもちろん。まずは知り合う前のことを教えて欲しいな。
「決して喋らないわけではなかったんだけど、あんまり自分から誰かに声かけるのは苦手だった。転機があったとするなら、小学校3・4年生の頃、サッカークラブに入ってから、徐々に活発になっていったな。朝も放課後もボールを蹴っていたし、わりとわんぱくな少年になっていったと思う。」
「サッカークラブでの自分は創設メンバーだったこともあったし、自由気ままにやらせてもらっていたんだよね。キャプテンもやらせてもらっていたし、そんな感じだったから、最終的には小学校でもクラスを引っ張るような「ガキ大将」ではなかったけど、「やんちゃ集団の準レギュラー」みたいな立ち位置だった。」
「でも昔から初めは人見知りしてしまう性格で、それは今も変わらないかな。」
——中学時代も副キャプテンだったね。
「それはみんなから選んでもらってやらせてもらっていたんだけど、サッカーの練習を振り返るノートを書いたり、練習でコツコツやっていたりした姿勢が認められていたのかもしれない。」
——確かに鎌野といえば堅実な努力家というイメージはあった。その原動力はどういうところだったの?
「小学校の頃は試合に出られるのが当たり前だったから、中学に入って初めて試合に出られないという経験をして、歴然とした差を感じてしまっていたんだよね。それでも勝てる部分(例えば守備など)はあると考えてたし、そこを伸ばしたいと思いながら練習していたよ。」
——なるほど、そういえば部活が同じだったのに、中学1年生の時は同じクラスだったけど全然喋らなかったよね。
「それは小学生時代から変わらずで、人見知りをして壁を作ってしまっていたからだと思う。(笑)一人で過ごす時間が落ち着くし、自ら望んで自席でじっとしていたかもしれない。」
——嫌われているかと思っていたもん。(笑)
「よく言われるんだけど、自分の中では誰かを嫌うようなことは全然ないんだよ。予防線を張ってしまうことでそう思わせてしまっていたのかも。」
「その「予防線」は高校時代になってから、より強まったように思う。中学から高校になって、関わる人が増えたから、相手の出方を探るというか…自分からの声かけはどんどんしなくなっていったな。人間関係においては基本的にドライだったし、それは大学時代も同じだった。」
——なるほど、少し話は戻るけど、「一つのことを継続する」ということは、鎌野の中で大切にしていることなのかな?
「あまり意識したことのない点だけど、単純に自分の力で他の選択肢を探すのが怖かったかもしれない。続けているものがあった方が、楽だった。物心ついた頃からサッカーをしていたから、当然のように続けていくものだと思ったし、環境をガラッと変えることをしたいとも思えなかったし、臆病になっていたと思う。」
「だから今までやってきたことの延長線上でその中でどういった工夫ができるか、自分の技術を向上させられるかを考えることは苦ではなくて。大学生活でも、最初のうちは全く新しいことを始めることはしなかった。」
中学高校時代、なかなか自らの殻を破ることのなかった鎌野さん。大学時代も変わらずに、自分を見たことのない世界に身を置くことは苦手だったという。そんな彼に転機が訪れたのは、大学2年生になる春だったそう。
※大学時代はブラインドサッカーに打ち込んだ(右から1番目が鎌野さん)
未知の世界へ…自分を変えた授業
——そのような中で、ブラインドサッカーを始めたのは一種の挑戦だったと思うんだけど、どういうきっかけだった?
「大学1年から2年になる時、中高が一緒だった友達と2年生になるにあたっての履修選択を共にしていたんだよね。その中で「地域との対話」「社会との対話」という少人数制の授業を取ることになったんだ。」
「「地域との対話」という授業では「地域×障がい×スポーツ」というテーマを掲げていて、ここでブラインドサッカーに出会ったんだ。当時自分も、今までのようにサッカー、フットサルだけ続けていることから脱したいと思っていたし、とても新鮮な出会いだった。」
「ブラインドサッカーという競技に関わる人々のことを、面白いと感じたんだよね。純粋にこの競技に打ち込む方々もいる一方で、この競技を広めることに注力している人たちがいる。今までにない世界の広がり方だったな。授業で一緒になった人たちがいる中で安心感もありながら、今までと違う人たちと関わることができたことで、視野が広がったところはあると思う。」
——興味を持つものが近しい人の仲だと、自分を出せるのかもしれないね。
「それはそうかもしれない。人生で初めて全く自分の知らないコミュニティに入っていったのだけど、目的が同じだと妙に安心感があるし、自分でも考えを発信できるようになるきっかけにはなったかもしれない。」
——それは大きな変化だったんじゃないかな、他に、大学時代に取り組んでいたことがあれば教えて欲しいです。
「体育会を目指すフットサルサークルでフットサルも続けていた。ほぼ毎日のように練習していたし、とても楽しめていたな。高校までのサッカーと比べると、判断力が求められるスピード感が段違いなんだ。全体を把握していないとどこに動いたらいいかもわからないし、無駄な動きが一切許されないんだよね。自分の性格上、フットサルはとても向いていたかもしれない。」
——性格上…というとどういった点で感じる?
「人間関係においても、何か物事を進める場合においても、「一定の距離を置いてみること」と「俯瞰すること」を大切にしているんだ。だから人見知りもしてしまうんだと思うし(もっというと、嫌われているように思わせてしまう(笑))、たとえばプロジェクトを進める時に、初期段階では自分は何かするわけではないのですが、徐々に足りない点が見えてきて、それを補うことに注力している。全体を把握することにまずは大切していたい。」
徐々に殻を破り、今までにない世界を見られるようになった鎌野さん。仕事選びは様々な考えていたものの、自己表現が苦手だったことで、就職活動は苦難の連続だったとか。
苦しんだ就職活動の先に見出した活路。
——大学時代の経験として、就職活動もあったと思うんだけど、こちらはどう過ごしていたの?
「自己表現が苦手だから、非常に苦しかったな。人生で初めて焦りを感じたかもしれない。人生でも初めてだったかもしれない。なんとかなるとは思っていたものの、人に相談することもしなかったし、悶々とした日々を過ごしていた。今勤めているところも、正直「拾ってくれた」という感覚だった。」
——そうなんだね、いわゆる「就活の軸」みたいなものはどんなものだった?
「地域づくりをしたい・地域の発展に貢献したいということが大きな軸だった。社会全体に何か影響を及ぼすことはイメージになくて。目の前にいる人を変えたいと考えていたかな。それは今も変わらずなんだけど。」
「そもそも今までの経験として「サッカー×障がい支援×地域」が大半を占めていたから、その中で仕事選びにできるのは「地域」だなと思っていた。横浜からも離れたくなかったしね。ここでも環境の変化を恐れていたのはあるのかもしれない。だから不動産系、鉄道系を受けていたね。」
——なるほど、その中で金融機関へ入社をしたわけだけど、どんな点が評価されて内定をもらえたと考えている?
「それは単純に、筆記試験の点数だけは高得点だったからだと思う(笑)。勉強とか努力とかは自分との勝負でできるから、その点は得意だった。コツコツ努力する自分の性格は、金融業界に活きると感じてもらえたのかもしてないな。自己表現が苦手とはいえ、一定のコミュニケーションは取れるしね。」
——そう考えると、中小企業診断士を取得しようとするのも自然な流れかもしれないけど、なぜ取得しようと思ったの?
「就職活動をしていた時に、この資格の存在を知ったんだ。学生時代、自分は何か秀でた経験をしたわけではなかったし、決して大手の企業に就職するわけでもなかった。だから、入社するからには中小企業診断士の資格を取らないと、周りとの差がついてしまうと思って、何が何でも20代のうちに取りたいと思っていた。当初は資格を取ることをゴールに据えてしまっていた感は否めないけど。」
——案外プライド高いよね(笑)
「そうかもしれない(笑)。負け戦をしに行かないし、がむしゃらな姿を見せることも苦手だと思う。自信のある状態じゃないと話すことをためらってしまうし、自分のわかる範囲で取り組むことが好きかもしれないな。もちろんその範囲を増やしていこうと努力はするんだけど。」
——当時立てた中小企業診断士の資格取得という目標が手の届くところに来ているけれど、「資格を取りたい」という思いから変わったところはあるかな?
「会社のキャリアプランで考えると、より専門性の高い仕事、頭を使ってゼロイチで何かを生み出す仕事をできる可能性が広がることは考えられるんだ。また、将来の自分の選択肢を増やせるという意味でも、とてもポジティブなものだと思う。将来的に会社に居続けなかったとしても資格は残るし、いずれ独立するとなった時に、この資格を持っていることでお客様からの信頼は得やすくなるとは思う。」
——ゼロイチを作っていく…という点をもう少し深く聞いてみたいな。
「今の仕事でも、お客様の状況を聞くことはもちろんあるのだけど、その目的の大半は融資の稟議書を通すための表面的なヒアリングなんだ。だけど、中小企業診断士の資格があることで、より深い会社の経営部分まで聞いた上で「お金を貸す」以外の支援の仕方ができるのではないかなと思う。」
「正直なところ、融資をするためだったら頭を使わなくたって、慣れればできてしまうんだ。たとえば条件A、B、Cを聞くことができれば、融資のどの商品が最適化を当てはめればいい。そのような機械的な働き方に、社会人5、6年目になって疑問を持つようになっていったんだよね。」
「もちろんそれをスピーディにかつ性格にヒアリングする力を高めていくことは重要だと思うけれど、もっと深く関わることが本質的な解決にも繋がっていくのではないかと思うし、自分自身のスキルとしても広がっていくのではないかと考えている。」
社会に出て、視野が広がり始めた鎌野さんが次に目指すものとは。どのように「中小企業診断士」という資格を活用していきたいか、その先にどのような形で社会へ貢献していきたいか。鎌野さんのCore-Values.を伺った。
※中小企業診断士になるための講座を受講された時の鎌野さん(前列左)
新しい中小企業診断士像を描き、業界でも稀有な存在に。
——なるほど、仕事の仕方を変えていきたいんだね。
「お金の問題というのは、企業の経営資源の一部でしかなくて、抜本的に経営構造を改善しなければもどかしい思いがあった。一方で金融機関に勤めている以上、「いくら融資できるか」で評価されることも違和感だったんだよね。だから課された営業目標に対して、邁進することができなかったのかもしれない。」
「自分が関わってきたお客様は中小企業が多くて、経営資源が限られている中でやりくりしている。それってパズルを組み立てるみたいなものだと思うんだよね。最終的に作りたい形はあるのに、組み立て方が異なっていたり、そもそも持っているピースが違っていたり、直面している課題は企業によって違うんだ。そのような中で、金融機関として「お金」というピースしか持っていない状態では、断片的な解決策しか持てないんだ。」
——その気持ちはわかるなぁ。中小企業診断士の資格を取得して支援の幅が増えたとして、どのようなことをしていきたい?
「月並みな回答になってしまうけれど、創業や経営改善の支援をしていきたい。ここ横浜という土地で多くの企業が花開いていくことで、横浜自体の価値も上がっていくだろうし、地域貢献の一助になれたらいいなぁと思う。」
「お客様の中には、構想はあるけれど、具体的にどのようにパズルを組み立てていいかわからないという方が多くいらっしゃって、そのような人と一緒にパズルの組み立て方を考える過程に価値があると思うし、自分が介在することで、お客様が新たな視点から捉えられるような、構想を形に変える道筋を立てていきたい。」
「そのような「気づきの提供」こそが中小企業診断士として、鎌野暁斗としての介在価値になるのかもしれないと思うんだ。お客様の期待値を超えた時にしかその感覚は味わえないし、クセになる。だから「気づきの提供」ができる存在になるためには努力も惜しまずにいたいと思う。」
——なるほど、そういう意味では俯瞰力は活かせそうだよね。
「そうだね、あとは発想力は自信があるかもしれない。そこに中小企業診断士の養成課程で学んだ論理的な面を掛け合わせて、成功に導いていきたいな。」
「この業界はまだまだ新しい発想が取り入れられると思うし、引き出しを増やしていきたい。たとえば「SNSを活用した中小企業診断士」になるでもいいし、「世界に目を向けた中小企業診断士」も希少価値は高いと思う。」
——たしかに中小企業診断士はデジタル化は進んでいないかもしれないね。
「仰る通りで、お客様にとっても、どういった中小企業診断士がいるのかを正確に知ることができない構造になっているんだ。この構造だと、精度の高いマッチングができないと思うから、その構造を改善させるためにはデジタルでの表現力をつけて、発信して、見つかる存在になりたいな。」
「中小企業診断士もそうだし、お客様とする企業の中には、対外的な発信がうまくいっていない企業がとても多いんだ。たとえばだけど、ホームページを持っていたとしても、更新されずに活用されていない状態。だから、自分が率先してその知識をつけておきたいし、中小企業診断士の中でも一歩進んで差別化していきたいと思う。仕組みを知った上で提案ができた方が内容の深い提案になるだろうし、物事をスピード感もって進めていく上では必要になるんじゃないかな。」
——それができたら新たな中小企業診断士の像を確立できそうだね!ゆくゆくは業界を牽引していく存在になれるように感じるよ。
「うーん、とはいえ自分の中では多くの会社に貢献したいという想いよりも、目の前のお客さんの課題を解決していきたい。自分にできる範囲は地域のお客様の支援をすることだと思っているんだ。多くの企業を支援していくことよりも、まずは深くは関わることができる企業をつくっていきたいな。」
「そうして深く関わることができた先に、一瞬の気づきだけじゃなくて、5年、10年先のビジョンも共に描けるような存在でありたいな。」
——なるほど、そこはやっぱり鎌野らしいね!改めていろんな考えや価値観を聞くことができてとても貴重だった、今日はありがとうございました。
「こちらこそありがとうございました!」
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編集後記
あまり多くを語ることのない鎌野さんに、いま考える地域への貢献のあり方や、それが実現できない構造上の問題などを語っていただいた。
課題認識で止まらずに、自分にできることを粛々と続けていく様は、15年以上前に出会った頃の姿勢そのものだった。逐一連絡を取る仲ではあるものの、プロとしてキャリアを深めて行こうとする視座の高さからは改めて刺激をもらえた。
それぞれのフィールドで、これから何ができるだろうか。そんなことを考え、語り合いながら、友人として、仲間として、ライバルとしてこれからもお互いを高め合いたいと思う。
〜中学、高校の学び舎〜
日々感じたこと、ほんの少しでも誰かのためになることを なるべくやわらかい言葉で伝えていけたらと思います。 これからもどうぞよろしくお願いします。