フランス旅行記:アヴィニョン🇫🇷

2019-10-12

パリからTGVで3時間ちょっと。最初は「アヴィニョンの橋の上で」の橋でも見ようかな〜という軽い気持ちで行くことを決めたけど、ローマ時代の水道橋も見に行けて結局かなりいい旅になった。

アヴィニョンには街の中心部に近いAvignon Centre駅とそこから電車で10分くらいのAvignon TGV駅があるので注意。しかもたまにAvignon Centre駅にもTGV(高速列車)が止まるというよくわからないシステム。

とってもおしゃれなAvignon TGV駅は2001年に完成。

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11時くらいにAvignon Centre駅に着いて、そこからバスでポン・デュ・ガールPont-du-Gardに向かう。夏以外はバスが少ないので注意(時間帯によっては乗り過ごすと5時間後とか…)。というか公共交通で行くのは、あんまりオススメしない笑

・Pont-du-Gardは、紀元40年から60年に造られたもので、約600 年間ユゼスの水源からニームへ飲料水を運ぶために使用された。
・全長360m、3層構造(6つの大きなアーチからなる最下層、11のアーチからなる中層、35の小さなアーチが並ぶ最上層)。
・1985年にユネスコ世界遺産登録。
・フランスの偉大な景勝地(Grand Site de France)にも指定されている。

街を11:40発のバスで「Pont-du-Gard」へ出発。他にもバスで行く観光客がいたのでちょっと安心。12:15くらいに最寄りのバス停に着いて、そこから15分くらい歩いてインフォメーションセンターに着く。

学生料金だと7€で普通だと9€くらいで入場券を買い、橋が見える場所に入れる。

そして…

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すごい迫力。2000年前に造られたとは信じられない。ちょっと山に登って、横から見ることもできる。

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帰りのバスの時間が迫っていたからあんまりじっくり見れなかったけど、橋の歴史を学べる小さな博物館もある。

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そしてアヴィニョンの街に無事戻ってくる。(走ってなんとかバスに間に合う。結局1時間ちょっとは滞在できた!)

まずは「アヴィニョンの橋の上で」で有名なサン・ベネゼ橋へ。近くにあるアヴィニョン教皇庁と一緒になった入場券を買うのがオススメ。オーディオガイド(日本語版あり!)で橋を渡りつつ、色々な情報を聞く。

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ちなみに現在、橋は途中で終わっている。最初見たときは、橋途中からなくなっとるやん!と突っ込みたくなったけど、歴史を聞いて納得。結構興味深い橋。

・サン・ベネゼ橋Pont Saint-Bénézetは、アヴィニョンのローヌ川に架かっていた石造アーチ橋で、アヴィニョンの橋と呼ばれている。建設されたのは1177年から1185年にかけてで、22連のアーチ橋で、長さは920m、幅は4mあったらしい。
・この橋の建設は、羊飼いのベネゼが天使から橋を架けるようお告げを受けたことによって始まった。彼は、アヴィニョンの司教を訪れ、最初はバカにされたが、結局許しをもらう(この時誰も運べなかった石を神の力で運んだという伝説がある)。
・ベネゼは橋の完成を目前にしてわずか19歳で亡くなり、橋上に建てられた聖ニコラ礼拝堂に埋葬される。彼は聖人となり、多くの民衆からの崇敬、そして橋の建設費用を集めた。
・1226年、ルイ8世によって、橋の4分の3が破壊された。数年後、アヴィニョンの人たちは橋を再建し始める。
・1600年頃、ローヌ川の洪水で立て続けにアーチが崩壊。その後、橋の修理が始まるが、ペストの流行などにより工事は進まず、その後も修復と崩壊を繰り返す。
・結局、ローヌ川の洪水は続くので(今はダムによってきちんと管理されているけど)人々は橋の建設を諦めた。
・何度も建設・崩壊が続いたので、昔の橋の状況を調べるのはとても大変だった。

ちなみにこの橋は、歩行者と馬車のために造られたものなので、「アヴィニョンの橋の上で」の歌にあるようにみんなで輪になって踊るのは無理らしく、実際に歌ったり踊ったりしていた場所は橋の下の島だったらしい。

そのあと、街の小さなCalvet美術館へ。サン・ベネゼ橋の昔の絵があって、歴史を学んだ後だと、なるほどーってなった。

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たまたまこの日は何かのお祭りだったみたいで、街では昔の服を着て行進している人たちがたくさん。

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そのあと小腹が空いたので、人がたくさん並んでたクレープ屋さんへ。丸い大きな機械ですごい勢いでクレープ作ってた。安いし早いしこれは人気になるだろうなと思った。

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そのあと、ロシェ・デ・ドム公園へ。ここからは街やサン・ベネゼ橋が見渡せるし、オススメ。

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公園の隣に、アヴィニョン大聖堂がある。金のマリア像と、磔にされたキリストの像が印象的。

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そのあとは「アヴィニョン教皇庁」へ。というか、何でイタリアじゃなくて南仏に教皇庁が?って最初思ったけど、要はこういうことらしい。

・1303年の教皇ボニファティウス8世の死後、枢機卿団が分裂し、教皇選挙の実施に困難が生じていた。
・ローマ教会とフランス王国の対立の中で、ボルドー司教のクレメンス5世が中立派として教皇に選出されるが、他の権力の干渉があり、ローマに入場できなかった。
・そこで、フランス中を旅し、アヴィニョンのドミニコ会修道院に落ち着き、そこに教皇庁を設置する。
・その後の教皇たちも、アヴィニョンに住み、教皇領都市の建設が完了する。結局7代に渡って教皇がアヴィニョンに教皇として滞在した。

教皇庁の中では、iPadで部屋ごとに色々説明してくれたり(日本語あり)、画面を今の建物の内部にかざすと当時の様子を見ることができたり、すごくわかりやすく学べた!

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たくさん感動して、たくさん勉強した、そんなアヴィニョンの旅だった。

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