結婚して改姓してみたら、やっぱ違和感あった女の話。違和感の正体って?
結婚して3年がたちました。
つまり、自分の名字を変えてから3年たちました。
そしてこの記事は「結婚して改姓してみたら、やっぱ違和感感じちゃった」という話です。え〜!?
別姓がよかったのならなぜ改姓を選んだのか?
「違和感」の正体は何だったのか?
なぜいまも新しい姓で過ごしてるのか?
について書いていきます。
婚姻制度については、内容や主旨、そして誰に開かれているかも含め、追いついていないことがたくさんあると感じています。
ひとつのサンプルケースとして、書き残しておく意味もあるかもしれません。
あとは、「姓を変えるまえに自分の気持ちを整理しとかんかい!」というツッコミが聞こえそうな、私のいちボンクラ事例が、今後結婚を検討をする誰かにとって、なにか少しでも参考になれば幸いです。
なぜ結婚を、改姓を選んだのか?
私にとっての「結婚」
私はもともと、家族以外にも、自分を無条件に気にかけ、また自分も相手を気にかけるパートナーが欲しいと思っていました。自分の生活にはそういった共に過ごすパートナーが必要だと感じていたのです。
当時、付き合ってる愉快な相手がいて、彼とパートナーシップを結ぶことを考えた時、それすなわち「結婚」だと自然にとらえていました。
とはいえ、もともと「できたら名字をそのままにしておきたいな」とも思っていました。
これまでずっと生きて仕事をしてきた名字であり、慣れ親しんでいましたし、なんだか大きな慣習に飲まれる感覚に、うまく言語化できない違和感を感じてもいました。
別姓を選ぶには「胆力」がいる
じゃあなんで実際のところ、改姓しての結婚を選んだのか?
今の日本では「別姓を選び取るには胆力がいる」これにつきます。
「ふつうの結婚」では選び取れない選択肢
日本は、パートナーシップとして法的に認められるのは基本「結婚」という国です。結婚は同姓が必須です。
別姓でパートナーシップを結ぶには、事実婚という選択肢になります。
(あるいは外国人との結婚です。そう、外国籍の人との結婚であれば、別姓でもいけるんです。これは、別姓にすると家族が離れ離れになるという主張とどう矛盾しない話なのだろう?とはつくづく思います)
事実婚は結婚よりも法的にカバーされない領域もあります。
実際どうするかはともかく「子どもをつくる選択肢を残すなら結婚がベターでは?」という感覚を持っていました。
また、マジョリティ以外の選択肢をあえて選ぶには意思決定やコミュニケーション的にも負荷がかかります。ここであえて事実婚を選び取る必然性ってどこまであるんだろう?と考え込んでしまったのです。
そして私としては、パートナー側に改姓を強いたいわけでもなかったのです。
マジョリティを選ぶ、安心感
日本では、結婚する場合はおよそ95%において女性が苗字を変えます。
周囲の親愛なる、尊敬する女性たち。
彼女たちの多くもパートナーと結婚し、夫の姓にしていました。そしてそれで自然に生きているように見えました。彼女たちが大丈夫なら、自分も大丈夫なのでは?と漠然と思い込んでいました。
まぁ、ビジネスネームは今の姓を使えるだろうし?
結婚自体、嫌だったらいつでもやめられるっしょ?
こうして、小さな違和感はとりあえず脇において、結婚しました。
振り返ると、自分の意志と向き合いきれていませんでした。
でも、実際、こういうプロセスを経た人も多いんじゃないでしょうか?
はっきりした意志と、情報がない限り別姓ルートにはなかなか入りづらいため、「特別なすりあわせ」がない限りは多くのケースでマジョリティの(女性が改姓をする)結婚がすっかり慣習になっています。
姓を変えてみて
さまざまな手続きで、たくさん新しい名字を書く機会がありました。なにせ実際名字はもう変えてしまってるわけですし。
にもかかわらず、「めんどうくさい」を言い訳にして、あらゆる手続きで以前の名字から切り替えるのを限界まで先延ばしにする自分もいました。
本当にめんどくさかったというより、ちょっとだけ行き先のずれた電車に乗ってしまってガタンゴトンと運ばれていってしまってるような気持ちが否めませんでした。
「まぁなんとかなるっしょ」と思っていた自分にとっては意外な感情でした。
結婚した、と話すと自然と周囲の人に「名字は何になったの?」と聞かれました。
純粋に、祝福の色彩をもってしてくれる質問です。聞いてきてくれる人たちのことを非難する気持ちは全くありません。
ですが、内心その質問をポジティブに受け止めるのが難しい自分がいました。
身の回りに、こんなふうな違和感を口にする人が少なくて、自分自身、戸惑っていました。
ずっと怒っていたはずだった
なんでこんなふうに感じるんだろう?
新しい名字自体が嫌なわけではありません(往年の俳優の名字と同じなので名乗ると「強そう」と言われます。「強そう」っていうのはなんかいい)。
名字にではなく、「姓を変える」その行為を自分がどう解釈していたかが、いまさらながら、自分の中で徐々に浮き彫りになっていきました。
思い返せば、ずっとうっすら、悲しいし、怒っていたのだと思います。
ここ数年では、社会も少しずつ変わってきているかもしれません。ですが、私が子どものころの記憶は、今思うと苦いものが多かったです。
メディアに出てくるビジネスパーソン、経営者、政治家が多くの場合男性
小さい頃、女性は持って生まれた資質や能力的にそういう場にそぐわないんだと漠然と思い込んできていた
そうして、責任を負わなくていい、挑戦をしなくていいという箱におさまる心地よさを感じていた自分もかつていた
自分の母親。能力が高いのに、楽しく働ける働き口をなかなかみつけることができなかった
おばさんなんて誰もみてないわよ、という言葉をよく聞いた
「母親」は全員、子どもが第一になって、その時点で「自分」のために生きるターンはいったん終了するという「空気」があった
一見、この話と、改姓は無関係のことに見えますが、私にとっては「とれる選択肢がない」という点で関連していました。
選択肢がある、という象徴
これは、あくまで「私の感じ方」ですが
「入籍」という言葉、多くの人が別姓も選べていいんじゃない?って思っているのに変わらない法制度、それ自体が、今の日本の女性を取り巻く「状況」を象徴している。そのように感じていたのでしょう。
そもそも婚姻制度自体が解決策なのかもわかりませんが(この制度だけですべてを解決するにはもちろん程遠いでしょう)、選択肢は、強い負荷なく等しく開かれるものであってほしいと思います。
望んだときにその選択肢を手にできるということが、女性だけじゃなく、日本に住む人たち全員にとっての何かのシンボルになりうるのではないかと思います。
今は、強い意志と、いくつかの法的な制度の諦めを持ってしか、その選択肢を選ぶことができない状態です。
自分の名字を変えることや、名字を同じにすることのほうがしっくりくる人もいるでしょう。もちろんそれは尊重されるべきことです。
ただ、私はそうではありませんでした。
そして、そうするための強い決断や擦り合わせの機会を自分で作り出すことができませんでした。
私が改姓したことに対して感じる座りの悪さは、そこまでのパワーがなかった自分を突きつけられるような気持ちになるからでしょう。
新しい姓のままでいる理由
夫との生活自体は、楽しくやっています。自分自身がIT業界で各種SNSやテクノロジーが飛び交う毎日を過ごしてると、SNSを全くやらない、シンプルで優しい生き方をしている彼と過ごすのは癒しだし、好ましい人だなと思っています。
彼とのパートナーシップは続けたいと思ってます。
結婚後、もし別姓の状態にしたい場合は、たとえ事実婚への切り替えであっても法的にはいちど離婚する必要があります。
パートナーシップの解消を望んでいない以上、経歴に離婚歴をわざわざつけるのも抵抗があり、今の私たちはそれを選んでいません。
この箱はもう開けてしまったから
改めて意識をすると、身の回りにはさまざまなパートナーシップの形を選んでる人たちがいて、今まで見えていなかった景色が可視化されていく感覚がありました。
女性で姓を変えた人も、男性で姓を変えた人もいました。
外国人と結婚した人もいました。
事実婚をした人もいます。
結婚という形を選んでいない人もいます。
同性とパートナーシップを築いている人もいます。
その中で、少なくとも私は人生で「改姓する」という箱をあけたのです。
箱をあけるまで自分の考えを言葉にできていなかったのはマヌケでした。
ですが、ある意味では、自分がその当事者になったということ自体は、人生の視野を広げる価値があるかもしれないと思っています。
スマートじゃなくて、うまくいかない、苦いことが人生で起こったときに、それはその後の自分をいろんな面で変えてきました。
そういう経験を経たからこそ想像できることもあります。
今回の人生は改姓の箱を開けてみたパターンだったわけです。
それはそれとして、その中で、できることをしていきたいと考えていますし、より広い選択肢をより多くの人が手にする近い未来があってほしいと思っています。
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