子ども欲しいとは思ってなかった。そんな私でも、なんとか母親やれてるみたい

息子が7ヶ月になった。
よく食べ、よく寝て、よく動く。最近はずり這いを覚えて、興味のあるものに向かって必死にずりずりと移動していく。そんな姿を見てるとおかしくて、「がんばれー」と声をかける。
私は自分が想像してたよりも、ちゃんと母っぽくなってるのかも、と思う。

もともと子どもが欲しいと思ったことはなかった。いらないとまでは思ってなかったけど。子どもを持つ選択をしたのも、夫の意向が大きい。
だから、妊娠がわかってから生まれるまで、「本当に私は世の中のお母さんたちのように『母』ができるのか」とずっと不安だった。

いざ生まれてみたら、意外とどうにでもなるものだなと思った。
母乳をあげ、おむつを替え、寝かしつける。ひたすらその繰り返し。溢れんばかりの愛とやらを持ってるかは定かじゃないけど、絶対に死なせてなるものか、という一種の意地みたいなもので、寝不足でも体が痛くても必死にお世話をする。
最初の3ヶ月くらいは、その意地のようなもので乗り切った。

赤ちゃんが成長するにつれて、「私の育児は合っているのか」という不安が湧き上がってくる。らしい。もちろん、私も不安になることがあった。でも、私の性格も幸いして「まぁ元気そうだしいっか」で済ます。

そもそも、私は子どもが欲しいとは思っていなかったので、ちゃんと育てられてるだけですごいと思っている。育児に関しては自己評価が高すぎな気もするけど、それでも夜泣きに対応したり、日々せっせと離乳食を作ったりと頑張ってるのだ。自堕落に生きてた妊娠前に比べたら、すごい変化だと思う。

そんなこんなで、気付けば息子は7ヶ月。保育園に通っているので、平日は仕事をしつつ、自分の時間も持てている。立派な母親をやれてるとは露ほども思ってないけど、それでも私は世の中から見たら「母親」なんだなぁと思う。

子どもを持つことにネガティブになりすぎてたぶん、意外と「母親」できてるじゃん、と最近はちょっと安心する。「目に入れても痛くない」という感情はあんまりないけど、幸せに生きてほしいなぁと思うし、そのためにできることはやってあげたい。その思いが可愛さからなのか、愛情からなのかはよくわからないけど。

きっとこの先も、私が立派な母親になれることは絶対にない。でも、「息子が幸せに生きていけますように」という思いだけを持っていればいいのかなと思う。

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