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2020年10月現在、わたしのVISION

新卒の時って、よく面接官に向かって自分のVISIONの話をしていた。

「みんながみんなに寛容な世界にしたいんです!」
「差別とか偏見、戦争、全部なくしたいんです!そのために教育なんです!」

もちろんその想いは今だって同じだ。

できることなら一刻も早く世界から戦争を無くしたいし、そのために起きている飢餓や虐殺や、その他あらゆる理不尽や不条理を全て無くしたい。

でも、今あの頃のように、声高に、当時のVISIONを叫べるかと言われると、それは少し難しい。

想いは変わらないけれど、わたしは今、過去の自分の言葉にすごく違和感を覚えたるするのだ。

「世界」や「戦争」や「みんな」みたいな主語は、わたしが扱うには、あまりに大きすぎたし、自分都合すぎた。

こう書くと、なんだか目標の下方修正みたいに見えるかもしれないけれど、それも少し違う。

主語を大きくすることは、そこに含まれる多様な他者を1つの価値軸で裁くことに似ていると思えてきたのだ。

例えば「みんなを幸せにしたい」の中の「幸せ」はきっとかなり多様だし、誰かの幸せが、誰かの幸せを侵害する可能性も含んでいると思う。

そしてその「幸せ」の定義を自分を通して見てしまうと、それはもう暴力に他ならない。

だから無責任に「みんな」の幸せを保証することはできないし、何か1つの価値軸を元に世界を「変える」なんてことは私にはできないと気づいたのだ。

じゃあ、そんな私は今、どんなVISIONを描いているのか。

それがこちら。

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私は、まず目の前の誰かと、自分との関係性をもっと大切にしていきたい。

私とあなたの、その途方もないほどの連鎖の先に。いや、先ではなく、連鎖そのものが世界だと感じている。

だから、私があなたとの関係性を育む中で、世界の見方はどんどん変えてゆけるし、変わってゆく。

「私たち」にとって世界を最適にしていくために、私は動きたい。

「私たち」の最適化の連鎖が、世界を作っていくことに他ならないと思うからだ。

あくまで世界「を」変えることはできないから(なぜならそれは実態がなく、個々人の見方によってあらゆる形をしていて、定義ができないから)私はあなたとの関係性の中で、私たち「で」変えてゆくのだ。


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