見出し画像

2人姉妹の私が思う、兄弟がいるデメリット


はじめに

私には1歳になる娘がいる。

周りには2人目を産んだ友人や、検討している友人がいる。

そして、我が家は「今の所」2人目は考えていない。

もちろん、どんな選択にもいいも悪いもないし、そもそも子を産もうが産むまいが、すべて自由に選択する権利がある。


だけど。

そんな当たり前をまだ当たり前と感じられない人々は一定数この世の中に存在し「結婚は?」「子供は?」「2人目は?」と不毛で終わりのない謎の質問をぶちかましてくる。(もちろんそれはこんなに明確な言葉ではない場合もある。が、どれだけ濁そうが、サラリと溶け込ませようが、その罪の重さは同じだ)

そういう人々の不毛な問いの2つをクリアした私は、3ステップ目、この「2人目どうする問題」へ無事到達した。

度々(よくない話題で)出てくる私の母は、まさに「2人いた方が何かといい」と信じて疑わない人間だ。(今までのnoteを読んでくださっている人がいたら、なんとなくわかる気がすると思う)

そして、母は私と妹の2人を産んでいるので、経験則をもって、堂々と、そういうことが言えてしまう立場を確立してしまっている。

個人的には、こういう人によくありがちな「自分の人生を正当化したい欲」にはスルーするのが1番だとわかっているが、いかんせんこの世の中には、「一人っ子のメリット」または「2人っ子のデメリット」情報が少なすぎる。

一人っ子を望む私が「一人っ子のメリット」を書いてもきっと「2人産まないとわからないものがある」的なサムシングに刺されるので、この度は堂々と、2人っ子の姉代表として「2人っ子のデメリット」を書かせて頂こうと思う。

2人っ子の姉として感じたデメリット

最初に断っておくが、もちろん、私は妹がかわいいし、まあまあ仲はいいし、メリットも感じてきた。だけど、物事には必ず二面性があるので、今回は「あえて」そのよくない面を書く。

お母さんを独占できない

私と妹は2歳差で、最初の絶望は、妹が生まれる時だった。

驚かれることも多いが、幼少期の記憶が(特に映像的な記憶)私は全然あるタイプで、ーそれは多分、ネガティブなことを忘れづらい性格にも起因していると思うのだがー最初の負の記憶が、前述した「母が出産のため、祖父母宅に預けられた時」だった。

おばあちゃんも、すでに大きかった従兄弟たちも、おばちゃんも、みんなが私をケアしてくれたが、そんなのが通用するのは昼間だけで、1番の恐怖は夜だった。

いつも一緒にいてくれる母の暖かさがないことが、これほどまでに孤独で、恐ろしいことなのかと、痛いほど感じ、祖母がせっかく風船やらぬいぐるみで飾りつけてくれたその部屋が、逆にとても空虚だったのが鮮明に記憶に残っている。

誰に抱っこされても、母のあの感じではない

いつものコップで出されるポカリスエット(私が泣き喚いて喉が渇くと母はポカリスエットを飲ませる人だった)も、母が注いでくれないとまるで違う飲み物のようで、余計に母の不在が強調され、悲しかった。

ちなみに私の2歳の頃の記憶は、これと、妹が生まれたために行くことになった保育園での最初のバイバイの記憶だ。

大号泣しても母は去っていき、なんで?どうして?と意味がわからなかった。(これもあって意識がしっかりする前に娘を保育園に預けたというのもあったりする)

子供が2人いる以上、母はどちらかを優先せざるを得ない時がある。どっちも大事なのは大前提で、それでも、出産や下の子のお世話など仕方のないことがある。

これが仕事が理由なら、仕事を恨めたかもしれない。

だけど、これは絶対に恨んではいけない「私より小さくか弱い妹」のためだったから、余計に複雑だった。

その後も、出産時の完全別離でないものの、まだ妹が小さいうちはどうしたって母の片手には妹がいて、抱っこも、お話も、何でも「順番こ」になった。

もちろん今の時代、下の子のお世話はシッターさんを使って、上の子との時間を作るとか、やりようはいくらでもある。

だけど「私だけのものではない感」は絶対に拭えないし、事実、私だけのものではない。

どう頑張っても「お姉ちゃん」人格が育ってしまう

よほどケア視点が優秀で、姉妹で差をつけない育児が完璧に実行できる親に育てられない限り、どうしたって「姉」という人格からは逃げられない。

親が例え言わなくても、近所で、園で、学校で、幾度となく「お姉ちゃんなんだね」という言葉がけがされる。

例え言葉で言わなくても、姉より歩くのも、走るのも遅い妹は、「待ってもらえる」立場で、姉は「待ってあげる」立場になってしまう。

社会の構成員である以上、自分より弱い立場の人をある程度気にかけることは必要だし、身体能力の差を考えても妥当だとも思う。

だけど、たった2歳差でも、「お姉ちゃん」になってしまう構造上、その社会的ルールを適応することになり、でもそれは、2歳の幼児が腹落ちするには難易度の高い精神性だったのではないかと思う。

やがて、お姉ちゃん化した私は「過剰に他者の気持ちを優先する時代」を迎えたし、そこから「自分の気持ち」を取り戻すまでにもかなり長い年月を要した。その間に失ったものだって当然ある。

終わりに

だから何だという話でもないけれど、何にだってメリットとデメリットがあることを、物事には二面性があることを、なんなら多面的で複雑であることを、忘れずにいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?