見出し画像

タイムラインに流れた「海外移住しました!子供は現地校に通っています」に感じる妬ましさ

SNS断捨離をしているので、どうしても仕事で使うFacebookだけ、PCかipadでだけ入るようにしている。(スマホのSNSアプリはnoteだけ)

インスタを消してからは、だいぶ自分へのコンプレックスや他者との比較思想が薄まってきて良い感じではあったのだけど、久々にメッセンジャーで仕事のメッセを送るついでにFacebookフィードを覗いてしまった。

Facebookでは基本的に人生の転機となるような出来事(仕事の昇進・栄転、結婚・離婚、子供が生まれた、移住、引っ越しなど)が流れてくるのだけど、どうしても私が今だにひっかかるキーワードがある。

それが「(子連れ)海外移住」だ。


子連れ海外移住に憧れるワケ

そもそも大学生、社会人時代は「海外移住」「海外赴任」に憧れていて、そういったキーワードを見るたび、それができていない自分への失望と羨ましさとが混じった妬みのようなドス黒い感情が心の底からムクムクと湧き上がった。

そんな投稿は見たくなかったし、いいねも押したくない、だけどそう思っている自分を俯瞰して自分の惨めさが嫌になって、結局いいねを押す、みたいな感情をグルグル何周もしていた。

子供ができてからはそれどころじゃなく、この1年くらいはそんな感情を忘れていた。

だけど、やはりそいつは影を潜めていただけで、確かに私の根底にいて、余裕が出てくると、ひょっこり顔を出した。

しかも次は単身でできる「海外移住」「海外赴任」から家族総出でしかできない「子連れ海外移住」へと難易度までマシマシだった。

その背景にあるのがなんなのか考えてみたところ、英語コンプレックスと、ドメスティックな両親への反発の2つが大きいように思う。

英語コンプレックス

私は「大阪大学外国語学部卒」という学歴のせいでなんだか英語に強そうに勘違いされることが多いのだけど、決して英語が流暢に喋れるわけではない。確かに入試英語には強いから、ある程度の英語ニュースを読んだり、日常会話のリスニングなら理解はできる。だけど、圧倒的にスピーキング力がない。本当にない。

だからこそ、実践的な英語力が欠如している自分が正直恥ずかしいし、そのために努力してこなかった自分への失望もある。

私の理想は、別に英米のような発音ができるとかではなく、発音はほどほどでいいから、自分の意見を適切に英語で伝えられるスキルを持っている状態で、英語でビジネスができる程度までスキルアップしたい。

ドメスティックな両親への反発

私の両親は旅行でしか海外に行ったことがないし、しかもそれも数回程度で、「海外=ヨーロッパ」みたいな思考の人で、私たち娘に英語教育や海外経験をさせようという意思がない人たちだった。当然語学スキルもゼロ。

そんな両親は、例えば「中国人は〜」とか「韓国人は〜」とか「欧米の人は〜」とか、そういうことを平気で言えてしまう。

1人でも外国籍の友人がいればなんとなく感覚的に、国籍で何かをカテゴライズすることがいかに馬鹿げているかがわかるのだけど、それがない。

そんな親がいる一方、自分は海外インターンやESSでの海外大会(いずれも自分のバイト代で捻出)などで外の世界を知っていくと、その感覚の差や視野の狭さに次第に嫌悪感が増していった。

だからこそ、そんな両親とは違うんだ、という反発がこの海外移住への憧れにもつながっているのだと思う。

「〜に移住しました!子供は現地校に通っています💦大変ですが、がんばります!😁」をしたかった

いずれにせよ、私はSNSで「海外移住しました!子供は現地校に通っています」と言いたかった人間なのだ。

もっと実践的な英語力を身につけ、今ごろ海外も視野に仕事を探したり、教育に良い土地にサクッと移住できちゃうようなファミリーでありたかったのだ。

日本にいた頃では考えられないような派手な色合いの服を着て、髪の毛を雑に結び、ぷりぷりの二の腕を恥じることなく露出して、子供にはフルーツとスナックを持たせ、誕生日にはパーティーを開き、舌の色が変わるお菓子をたくさん食べて、ハロウィンやクリスマスを全力で楽しむ姿をSNSにUPしたかったのだ。

だけど実際は、夫は日本のお堅めの会社勤めで、私は日本語で仕事をするフリーランス。どこかで見た色と形の服を着て、それなりに身なりも整えて、子供には健康的な食事を推奨し、小さくお誕生日を祝い、お菓子は控えめで、週末は近場でピクニックをし、行事があってもコンパクトに過ごしている。よく言えば、「誰もがほしいふつうの生活」と言えるかもしれないし、悪く言えば、平凡な生活を今日も送っている。

娘の通う保育園だって、インターと迷ったが、園庭がないこと、かなり室内が狭いことなどファシリティ面がどうしても譲れず、かといって遠方の園に預けるほどの気力もなく、近場のアットホームな日本語の保育園になった。

苦し紛れでDWEをやっていたりはするが、当然現地で暮らしている子に比べれば英語環境は雲泥の差だ。何より私自身が英語で話せないのだから、子供に求めるのはお門違いもいいところ。

だけど踏み切れない自分がいる

だけど、こんなに切望しているはずなのに、どうしても踏み切れない自分がいる。

それは夫と別居婚してまで行きたい?と聞かれるとYESと言い切れない自分がいるからで、娘を巻き込んでまで移住して、もし向こうで娘が病気になったら?学校や家など重要な契約をミスったら?と安心できる暮らしを提供できる自信がまるでないから。

前者に関して、夫と過ごす日々が楽しくて、心地よいから結婚したのに、それを捨ててまで欲しい未来でないとも言えるかもしれない。

後者に関しては、そもそも英語力さえ高ければいいという問題でもない。慣れない環境で適応しながら、仕事しながら、自分だけでなく娘の心身の安全と健康を守れるだけの強い意思がないとできないはず。そんなメンタルを私が今持ち合わせているかというと全くそうではない。日本にいてもこんなに娘が心配でかわいくて、心が忙しいのに。

結局私は、愛する家族と「一緒に暮らす」ことが今一番の幸せであり、それを一部捨ててまで得たい未来はないということなのだと思う。

と、ここまで自己理解ができていても、それでもまだ子連れ海外移住が羨ましいのは、「今の一番の幸せ」をそう思おうとしているからなのか、現状に満足し切ることが逆に怖いからなのか、その辺りをもう少し噛み砕いていかなきゃと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?