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今日の絵本16:『こねこのぴっち』ハンス・フィッシャー/石井桃子

ぼくは、なにものなんだろう――。
ぴっちは、いつも一人で
考えごとをしていたのです。



16_こねこのぴっち

リゼットおばあさんの家にはお父さんねこのマリとお母さんねこのルリ、そして5匹の子猫たちがいます。そのなかで一番小さくて一番かわいい子猫のぴっちは、ほかの子猫のように遊びません。いつもかごのなかで一人考えごとをしているのです。ぴっちは一人で家から出て行きました。ほかの子猫たちがしているような遊びではなく、なにかもっとほかのことがしたかったのです。

庭でおんどりを見たぴっちは「ぼくも、りっぱなおんどりになりたいものだ」と彼の真似をし始めます。けれども彼がほかのおんどりと喧嘩をし始めたのを見て「こんなことなら、おんどりなんかになるのは、やめだ!」とぴっちは逃げ出しました。次にぴっちが出会ったのは大きくておとなしそうなヤギでした。「ぼくは、やぎになってみたいなあ!」

自分は一体なにものなのか、自分の居場所はどこなのか――。小さな哲学者ぴっちの愛らしい物語。

* * *

この世に生まれ落ちるとたいていの者は、自分が何者であるかをそう疑問を抱くことなくいつの間にか受け入れます。人は自分が人間であるとして、猫は猫、犬は犬と自分を認識する。いえ、認識するというより、意識することも思考をめぐらせることもなく、あるがまま受け入れる。

けれども生まれたての子猫ぴっちは、疑問を抱かずにはいられませんでした。
ぼくは、なにものなんだろう――。
だから小さな哲学者ぴっちは、両親や兄弟のもとから飛び出して、自分探しの旅に出かけるのです。

おんどり、やぎ、あひる、うさぎ……。外で魅力的な生き物に出会うたび、ぴっちはその生き物になってみようとします。けれどもしばらく真似してみると、どうも勝手が違うことに気づいて、また次の動物を探しにいきます。その繰り返し。

やがてうさぎになりきって小屋に泊まったぴっちは、とても恐ろしい目に遭い、病気になってしまいました。心配した動物たちは大勢お見舞いにやってきます。みんな、とてもぴっちが好きなのです。

みんなの優しさに囲まれて、ぴっちはやがて快復し、自分の居場所はにここであるということを確信します。そしてぴっちは気づくのです。猫としてふるまっている時が、自分にとって一番楽しいのだということを。「もう、ねこより ほかの ものに なるのは、やめよう」とぴっちは思うのでした。

――1954年、いまから60年以上も前に「岩波の子どもの本」シリーズの一冊として国内で出版された本作。フィッシャーの絵はとても愛らしく装飾的で、とりわけぴっちのキュートさといったら。かわいい動物たちが次々と登場するお話に幼い子どもたちは大喜びで、夢中になってこの本を眺めます。ところがこの絵本、実に奥が深かった。何度か読み込むうち、その奥の深さがだんだん際立って感じられるようになっていきます。

これは小さな子どもに向けた哲学の本なのです。
自分とは何ぞや、自分の居場所はどこにあるのか、そんな疑問を抱いたぴっちの旅をなぞりながら、子どもたちは「あるべき姿であることが何よりも幸せ」だということに気づいていく。そして無事に自分の居場所を見つけたぴっちの姿に安堵して、絵本を閉じる。

さらりと読ませるお話のなかに、こんなに深い主題が隠されているとは驚きです。何度でもじっくり子どもに読んであげたい絵本です。

ぴっちの誕生エピソードは『たんじょうび』という絵本に描かれています。『たんじょうび』でなにやら意味深なラストシーンだったのは、『こねこのぴっち』につながっていたからだったのか! と本作を読んで思わず納得。『たんじょうび』は飼い主のリゼットおばあさんの誕生日を動物たちがお祝いするという、こちらもかわいいお話。ぜひ併せて読んでみてください。

読み聞かせは3歳くらいからどうぞ。

『こねこのぴっち』
▽ ハンス・フィッシャー(文・絵) 石井桃子(訳) /岩波書店(1954/12/10)<岩波の子どもの本>/印刷:大日本印刷/製本:牧製本

※小型版と大型版があります。小型版が、冒頭に掲載した写真のものです。

※Amazonでは中古の取扱のみなので、価格がおかしいことに……

※「今日の絵本」は、家で過ごす時間のために、ずいぶん昔に書いていた絵本ブログから、おすすめ絵本のレビューをランダムに紹介する記事です。リアルタイムに執筆した文章ではありません。ほんのちょっとでも、なにかのお役に立てれば幸いです。




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