「漫画が好き」と、「BL漫画が好き」の隔たりを
今から2年前、私はライターをしながら非常勤の日本語教師として、東京の語学学校に勤めていた。語学留学生として来日した学生たちに、日本語を教える仕事だ。
私が担当していたクラスでは、日本語を学ぼうと思ったきっかけに「漫画」を挙げる学生がとても多かった(30人のうち15人はいたと思う)。好きな漫画を聞けば、やはり真っ先に聞こえてくるのが『ONE PIECE』『NARUTO』『DRAGON BALL』。
少年漫画愛を語る学生の傍らで、男性同士の恋愛を題材とするBL(ボーイズラブ)が好き!と教えてくれる学生たちもいた。それを聞いたとき、「BLはすっかり日本文化として世界に認知されるようになったのだなぁ」と、実感したものだ。
ある日、授業を終えて教卓の片付けをしていると、1人の学生が「相談したいことがある」と私のもとへやってきた。
進学先についてのことかな?と思いながら隣の空き教室に入ると、彼女は気まずそうに俯いて口を閉ざす。
普段は明るい子なのにな……
あまり、口に出したくないことなのだろうか
「何かあった?」
「先生……正直に教えて欲しいんですけど…」
「うん?」
「BL漫画を好きなことは、日本では恥ずかしいことですか?」
彼女は大学進学が決まっていたから、大学についてのことかと思っていた私は一瞬固まった。
「どうして?」と聞けば、「だってBLが好きな人のことを『腐女子』って呼ぶんですよね。腐って……、『腐ってる』ってことですよね?最近その意味を教えてもらって…」と。
彼女は日本に来る前から、BL愛読者の総称として「腐女子」という言葉が使われていることを知っていたそうだ。でも、それがネガティブな──自嘲や嘲笑を孕むような──ものだとは思っていなかった。
日本の大学で友達をつくることを楽しみにしていたけれど、もしかして自分が好きな漫画については、話さないほうがいいのではないか?と、悩んでいたそうだ。
***
私がBLカルチャーに少し詳しいのは、以前BL漫画家さんにインタビューをしたことがあったからだ。
取材準備として、未開の地であったBL界にお邪魔させていただき、触れられるだけのBL漫画に触れた。1〜2ヶ月間は、Kindleの本棚がすべてBL漫画で埋め尽くされ、物語に没入しては純愛に感動したり、上手くいかない恋心を想って泣いたり、萌えたりした。
彼女の言うとおり、愛読者たちは「腐女子」と呼ばれることがあるし、少なからず偏見の目を向けらてしまうこともあるだろう。BL漫画には「性的描写が多い」というイメージが強いこともあって、外界からは読者の性的嗜好に焦点を当てられやすい。
けれど実際にBL漫画を読み込んでみると「なんて純愛なんだ……」と感動することも想像以上に多かったし、「BL=エロい漫画、偏った性癖」と一括りにされるのは、読者として私も納得できない。
性的描写がない漫画もたくさんあるし、同性を好きになってしまう苦しみや苦悩がリアルに描かれていて、涙することも珍しくない。『おっさんずラブ』が大ヒットした近年なら、頷いてくれる人も多いと思うのだけど……
漫画を愛する日本人として、BLは他ジャンルと分け隔てなく尊い存在に違いないし、私の人生に登場してくれて、ありがとうと思っている。
恥ずかしくない。
好きなことは、絶対に恥ずかしいことなんかじゃない。
それを伝えることはできても、私は彼女に「好きなことを隠す必要は全くないんだよ」とは、言えなかった。
まだ日本では「BL」というワードを口にしただけで、一歩引かれてしまうことも多々あるだろう。日本人とともに学ぶ学校社会に初めて触れる彼女が、それを無邪気に口にすることで偏見の目を向けられ、傷つけられてしまう可能性もある。
「恥ずかしいことなんかじゃないよ。でも、苦手意識を持っている人もいるから、例えば自己紹介の場でみんなに対して言葉にするのは、少し難しいかもしれない」と、そんなふうに話をした。
一定の偏見が未だに存在しているということを、日本を愛してここまで来てくれた留学生に伝えることが、本当に心苦しかった。
あの時、何をどのように伝えてあげることが、正解だったのだろう。
「腐女子」という言葉は
諸説あるのだけれど、腐女子という言葉は「同人誌」と深い繋がりがあるとされている。BL要素がない作品に対しても、男性同士が結ばれるストーリーを妄想する自らを、「腐っている」という言葉に当てはめ、自嘲するようになったのが「腐女子」のはじまりだそう。
日本のBLカルチャーは、描き手と読者の嗜好を優先するあまり、同性愛者への配慮を欠いた表現やストーリー展開について、非難されていた時期がある。
ファンタジー性を優先して愛読者を増やしてきたゆえに、LGBTQとは常に難しい関係にあり、今でも快く思わない人たちはいるだろう。
「腐」という言葉は自嘲の意味だけでなく、BLカルチャーそのものへの攻撃性を含む意味でも多用されてきたのかもしれない。
けれど、そういった背景を真摯に受け止め、誠実に向き合う漫画家さんが増えたことによって、今はLGBTQへの理解を深める大切な一歩として、重宝される存在にもなってきている。
私は、BLを愛するのが「恥ずかしいことだ」とは、絶対に思わない。
自分の人生として、
好きなものは、好きでいいに決まっている。
「腐」という言葉で呼ばれていることが(当人たちが肯定的な表現として納得している場合を除いて)、相応しいとも思わない。
だからこそ好きなものを、自分の心の聖域を自分で守っていくためにも、
一定の偏見が存在するなかでのコミュニケーションを一緒に考えたいと思ったし、今も、思っている。
あの時の私の言葉が、彼女にとって正しかったのかどうかは……わからない。
結果的に私の言葉が「恥ずかしいことだ」と思わせてしまったのではないかと思うと、今でも後悔が心に滲む。
私にできることは、本当に微々たることだけれど
例えば好きなものを好きと発信することで、1ミリでも偏見の目が変わるのであれば、私はこれからも恐れずに口に出していきたいし、こうしてBLというカルチャーについても、書いていきたいと思う。
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