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溢れる言の葉、消えゆく色彩

「小説は色も匂いもないただの文字だけど、そこから匂いとか肌触りが立ち上ってくるものを書けたらいいなと思っています。」と、千早茜さんが直木賞のインタビューで語っていた言葉が好きで、決して職業作家ではなくてもそういった文章を書いてみたい想いが強い。そういった言葉の選択ができる人は素敵だ。

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日常が忙しくなると疲労感からか夢と現実の境がなくなることがある。
そういうことを経験するたびに、今、目の前で起きていることも虚構なのかもしれない、と考えてしまう。虚構であればいいのに、という願望も含まれているかもしれない。

パンケーキって日常のふとした瞬間に食べたくなるけど、いざ家で作って食べてもなんとなく後悔してしまう。べつに美味しくないわけではないけど。
それにおいても、パンケーキが食べたくなっていた時の自分は本当の自分ではなかったのかもしれない、と思っている。食べたパンケーキはその間に雑に咀嚼されて消えていく。

言葉という存在もある種の虚構のように思えてしまう。独り言も、家族や友人、恋人と交わした言葉も、その会話が終わった瞬間に行き場をなくしてしまう。そして柔らかに消えていく。一生記憶に残る言葉なんて僅かにも満たないだろう。それを考えたときに、発した言葉が果たして自分が本当に発した言葉であったのかどうか、そもそも発したのかどうかすらわからなくなってしまう。
小説だってそうだ。受け手、読み手がいるからこそ辛うじて成り立っているような気がしている。ただしその言葉が有している本当の意味はある意味で誰にもわからない。そしてその言葉が常に同じ姿をしているかもわからない。ある種のぼんやりしたメタファーであるけれど。

言葉は、話し言葉にしても書き言葉にしても生まれた場所が可視化されない。だからこそ儚さを有しており、ぼくらはそんな儚いものに一喜一憂してしまうこともある。
言葉は時に色彩を持ち、重みを持つ。ぼくらは気づかないうちに、言葉にすがって生きているのかもしれない。何気ない言葉を過剰に意識することは愚かであると認識していながらも、間違った接し方を繰り返してしまう。
ただ、色や重みのある言葉はありふれた言葉のなかでも特に光っており、時に大きく周囲に影響を与える。

千早茜さん、大ファンです。

また書きます。

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