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医者が花屋になりました。

10月19日、朝はしんと冷えた、秋晴れの日。
ほっちのロッヂでは朝市が開かれた。
(詳細はこちらもどうぞ https://hotch-pr.com/n/nef052b9f1973
今日は1日花屋になる日。
気まぐれにオープンする、ほっちのドライフラワー屋さんを開店した。

軽井沢での花屋のはじまりは3年前、まだほっちのロッヂができる前に地域のマルシェで1回、2年前に近くの作業所のバザーで1回。2年ぶりの開店だった。
1ヶ月くらい前から、花好きの同僚と一緒に、診療の合間を縫って野原に繰り出しては野の花を摘む。道端の花をしげしげ眺めると、普段気づかない季節の変化や、綺麗な花や葉っぱの形まで意識するようになる。

軽井沢はアナベル、ノリウツギ(ピラミッドアジサイ)といった紫陽花の仲間を育てている方が多く、ドライフラワーに向いているので訪問先で素敵な花を見たら声をかけると、喜んで譲ってくださる方々もいて、ことばにして伝えること、ただ医療だけでつながっていないように感じて嬉しくなる。

今日はたくさん作ったドライフラワーを、めいめいに選んでもらい、好きにブーケにしてお渡しした。

建物の中で作るドライフラワー。
ほっちのロッヂの片隅で開店したドライフラワー屋さん

白衣は着ないジレンマ

医者が地域活動するものとしてよくあるのが「白衣をきて〇〇」ではないだろうか。町のお祭りで白衣を着て健康相談したり、血圧計を置いてみたり、健康講話をイベントにしたり。
そういうやり方があるのは知っているけど、ほっちのロッヂには似合わない。
なぜかって出会いの場所が診察室ではなくても、繰り広げられるコミュニケーションは診察室と似通ってしまうからだ。
そもそも普段から白衣なんて着ていないので、名札もつけずにそのままお店に出れば誰が見ても花屋なのだ。だから初めて会う人は、だれも僕を医者と思う人もいない。

8時過ぎ、いつも朝の申し送りをしている時間。
朝市ははじまり、さまざまな情報で頭が医療モードになっているところに「すみませ〜ん」とお客さん。軽井沢に、旅行でこられた方とのこと。
頭の切り替えもそこそこに、思い思いに花を選んでいただき、ブーケを作る。

さて、このブーケをつくる作業がなかなか難しく、色紙や包装紙とリボンなどを組み合わせるのだがセンスと手先を要求される。
当然僕はプロの花屋ではないので、時間がかかる。
10分くらいかけながら、作業しながら話せる余裕もなく、間が持たずに「他のお店見てきていただいてもいいですよ」とお話ししてしまい、少し後悔した。
こうして作るプロセスを一緒にすることができたらいいのに、医療のことは饒舌になっても、日々の会話を器用にできない自分を実感する。

2-3名のお客さんが同時にきたとき、ちょうど店番は自分一人で、花選びの接客とブーケ作りを並行して行わなければいけない。
つい手際の悪さが申し訳なくなり、「実は花屋ではないんです。ここでドクターをしていて」と一度言ってしまう。
「あ、そうなんですね〜。」と少し驚かれたけど、だからと言って健康相談が始まるわけでもない。花が欲しいのであって、医療を求めているわけではないのだから当たり前だ。
つい「医者なのに〇〇」の逆説に頼ってしまうことに、弱さを感じてしまう。

少し手持ち無沙汰になるとき、扉を隔てたほっちのロッヂの中ではひっきりなしに電話がなり、外来や訪問に駆け回る同僚がいる。
僕がこうして花屋をできるのは、ケアの現場を守っている人たちがいるからだ。なんとなく申し訳ない気持ちになり、建物の中に入りたくなる。
電話を受けて、問い合わせの対応をしたりすることの方が、ずっとずっと慣れているのだ。
手持ち無沙汰なのを暇そうに佇んで世間話したりする、そんなことが苦手で、慣れた忙しい日常に逃げたくなる自分に気づく。
医者として診察することの方が簡単で、日常に佇む方がずっと難しい。

ひとりとして同じブーケはないのが、人は一人一人違うことを感じて面白い。

医者として出会わない時間

普段外来に来てくれている方(患者さん、とは呼びたくない)や訪問診療に伺っている方も、朝市に顔を出してくださった。
先日病気を患い、今は大きな病院にかかっている方が、最近は外来には来られていないけど朝市には来てくださって、ドライフラワーを買っていってくれた。「お久しぶりです」「お元気ですか?」「元気にしてますよ」
今、ほっちのロッヂの”診療所”にくる必要はなくても、ほっちのロッヂの朝市にはふらりと来ることができる。

普段外来に定期的に来てくれる方が自分の未来を、自分が占う「おじくじ」を引かれたあと、ブーケにしたノリウツギのドライフラワーに結んで、「このほうが飾れるしいいよね」と笑う。
その人の大切なこと、周りの人たち、大事にしているものを知る瞬間は、診察室の中でなくてもいい。
こうして面白がって、いろんなところで出会えることが、人生会議になったり、ケアにも繋がることもあるかなと思いながら、風景を眺めていた。

ノリウツギ(ピラミッドアジサイ)に結ばれたおじくじ。

この活動はなんのため?

医者の地域活動にもう一つつきものなこと。
この活動のアウトカムはなに?
この活動は僕の医者としての半日分の給与を生み出すことができるのか?
正直言えば、僕には答えられない。
それでも、病院にいたときには白い診察室でしか会えなかった人が、まちで暮らしている様子を感じたり、診察室では会えない大切な人に囲まれたり、笑っている様子をともにできることは、診察室で10分余計に長く話を聞くことよりも、たくさんの発見があることもある。
この出会い方を重ねていくことが、自分の学びになり、細い細い糸になって、いつか繋がったり、芽吹いたりする瞬間を楽しみにしたい。

だから目に見える結果を求めるのは、もう少し気長に待って欲しい。
そのかわりに過程やこころの動きも、きちんと言葉にしていきたいと思う。


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